『薬の神じゃない!』90点(100点満点中)
18年 中国 監督:ウェン・ムーイエ 出演:シュー・ジェン ジョウ・イーウェイ ワン・チュアンジュン

≪あの中国政府を動かした社会派エンタメ映画≫

日本で興収100億円なんていうと目の玉が飛び出る数字で、『君の名は。』みたいに200億を超えてくると、もはや事件といえるレベルである。しかし中国ではその程度では年間ベストすら無理。もちろんコロナ禍の前の話だが、300億400億がゴロゴロしているのだから驚かされる。

『薬の神じゃない!』はそんな超絶勝ち組からさらに頭一つ抜け出た興収500億円! を誇る作品だが、その最大の特長は興収ではない。

本作が真にとんでもないのは、これが中国では珍しい実話をもとにした社会派ドラマであり、この映画のヒットによって実際に中国共産党政府が政策を変えた逸話を持つ点である。

2002年の上海。雑貨店主のチョン・ヨン(シュー・ジェン)は、インドから仕入れた怪しげな強壮薬がまったく売れず、家賃を滞納する毎日だ。別れた妻には最愛の息子の親権を取られそうな状況で、さらに悪いことに病気の父親の手術費が払えず病院を追い出される始末。そんなとき、店に慢性骨髄性白血病患者のリュ・ショウイー(ワン・チュアンジュン)がやって来て、高価なスイスの正規薬が買えない自分や患者仲間のため、インドのジェネリック薬を密輸してくれと頼まれる。

『薬の神じゃない!』は、人情味あふれる登場人物、難病の人々と出会った事で立派に成長してゆく主人公。軽快なギャグ。そして打って変わってシリアスで感動的なクライマックスと、エンタメ作品の王道を行くドラマ映画である。

その内容を一言でいえば、持たざる者たちが出会い、協力して困難に立ち向かう物語。

ここに出てくる難病患者たちが抱える問題とは、命をつなぐために必須な抗がん剤があまりに高価すぎるというもの。しかしインドでは安いジェネリックが生産されている。そこでインチキくさいインドサプリを売って生計を立てている主人公のもとへ、藁をもすがってやってきたというわけだ。

当初は一儲けできると思った店主のチョンも、彼らと交流するうち、皆が医療行政の理不尽に心底苦しんでいることを知り、やがて自らすすんで密輸の危ない橋をわたるようになってゆく。

目の前の命を救うために、法を犯さなくてはいけない。

そんな世の中の矛盾を前に、正しい行動をとる主人公への共感度は抜群に高い。なにしろここは、中国なのである。政府にたてつく行動がどれほどのリスクか、日本人にも想像がつくだろう。

本作は14年に実際に起きた陸勇事件をもとにしている。このような出来事が事実だと知れば、その感動はさらに大きなものになる。さらに言えば、じつは似たような事件がここ数年中国ではいくつも起こっており、そのたびに大きな注目を集めてきた。

中国の保険制度、福祉はいまだ十分とは言えず、患者が海外の安い薬を使いたくても使えないなど問題点がいくつも残っている。

この映画はそれを堂々と指摘し、しかし人民たちがその壁をどう乗り越え、サバイバルしようとしたかをスリリングに描いてゆく。

それにしても、政府批判が御法度な共産主義国でなぜ『薬の神じゃない!』のような存在が許され、大ヒットしたのだろう?

結論からいうと、本作が決して中共政府批判を目的として作られたものではなかったからだ。

……というと「なんだ生ぬるい、しょせん人権ゼロの中国の映画なんてみる価値ないな」などと早合点する人が出てきそうだがそれは違う。

話はむしろ逆で、あのような国でも様々な迫害や規制をかいくぐり、映画ひとつでここまでのことができるのだということ。むしろ快挙というべき事件なのである。

そもそもこの問題の根本的な原因は、特許を盾に強気に出てくる欧米の開発メーカーの値付けの高さにある。

健康保険制度がしっかりしていない国では、そうした薬を自由に使うことができず、人がどんどん死ぬ。中国におけるがん治療もそうなっている。日本と比べると、治療後の生存率は半分くらいだと聞く。

これを解決するには、インドなど第三国のジェネリック薬を輸入するか、メーカーと交渉して値下げさせるかしかない。

ジェネリックに頼ればすぐに安価な薬を国民に提供できるが、生殺与奪を海外に握られていることに変わりはなく、中長期的には好ましくない。

ならば交渉は、となると、まず交渉材料がないと話にならない。交渉材料とは、端的に言えば国内の製薬企業の競争力である。

つまり中国政府が、当面ジェネリックの流入を阻止し、国内企業の育成を優先していたのは決して人権うんぬんの話ではない。これはこれで、中長期で見た際の、合理的な政策判断とも言えるのである。

この映画がクレバーなのは、日本の右翼評論家の馬鹿の一つ覚えみたいに「中共は人権ガー」と批判する愚を犯さず、そうした政府側の事情も理解している点である。

現実主義者の私は、中国批判しかしない自称評論家の扇動者たちを一切信用していないが、それに比べ『薬の神じゃない!』の、なんともパワフルなことよ。この映画には、「たとえ今はどんなに妥協したとしても、世の中を一歩先に進めるために力を尽くす」という、現実主義者の持つすごみがある。

一つ間違えば殺されてもおかしくない、言論の自由が保障されたとは言えない国で、現在進行中の社会問題を扱い、問題の本質を見抜き、ちゃんと批判した映画を作る。検閲にひっかからない脚本を書き、エンタメ度の高い演出で、500億円もの興収を稼ぎ出す。すべては、この問題をなんとか良い方向に向かわせるためだ。

完成したものを見れば、これが共産国の映画とはとても思えない、じつに骨太で、理知的で、まっとうな主張を持った社会派映画である事がだれにでもわかる。

映画には、大きな発信力すなわち力がある。力があるものは、弱い者の味方でなくてはならない。

この映画を作った人たちは、現代中国の抱える問題点を正確に描写し、それをどうすれば解決できるか優秀な頭脳で戦略の絵図を描き、映画の持つパワーを存分に発揮してそれを実行した。

本作公開後、映画は社会現象的大ヒットとなり、その反響の大きさを見てついにあの中国共産党が動いた。

政権幹部たちは様々な政治上のデメリットを理解しながらも最後は受け入れ、当面の人命救助を優先した。つまり、ジェネリック医薬品の輸入と価格下げに踏み切ったのである。

ここからは想像だが、私はこの映画がもたらした医薬業界改革が、のちに2020年におきた中国のコロナ対策に影響を与えた可能性もあるのではないかと考えている。

彼らは、コロナ禍において即座に海外製のキットを大量に輸入して検査に当たった。だが、この映画が指摘するように、自国の企業を優先して国内開発にこだわっていたらどうなっていただろう? とてもではないが、たったの2か月で武漢の感染を収束させることは不可能だったはずだ。感染症との戦いはスピードが命である。結果を見れば、中国のとった対策は的確であった。

繰り返すが、中国では14年以降、「国内企業(国内開発)の優先か、患者(安価な製品輸入)の優先か」という、本作が火をつけた議論を続けてきた。その結果、彼らは後者を優先するに至った。

だから今回のコロナ禍でも、即座に後者を選択し、恐るべきスピードでウィルスを抑え込むことに成功したのではないか。

このことを指摘した人をまだ見たことがないが、少なくとも日本はコロナウィルスに対し、逆のことをやって失敗した事は確かである。

日本政府はPCR検査を絞り、キャパを増やそうとせず、検査データをはじめとする多くの利権の独占を図った。結果、政府の初動は完全に失敗し、私たちは東アジアで最悪の感染状況と多大な死者数を受け入れることを余儀なくされた。

もちろん、今も誰一人責任は取らないままだ。右翼評論家たちは相変わらず、中国の悪口ばかりを言い続けている。自国の政府の失敗から大衆の目をそらす卑劣なプロパガンダを続けている。

このような時代に、『薬の神じゃない!』のような、世の中を変えたパワーを持つ映画が公開されるのは非常に意義あることと考える。

公開延期された作品の一つだが、その意味では、むしろ延期は良かったのかもしれない。少なくとも、見る側にとってはベストタイミングである。ぜひこの記事で描いたようなバックグラウンドを頭に入れたうえで、楽しく鑑賞してほしい。



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