『TENET テネット』70点(100点満点中)
2020/09/18公開 20年アメリカ150分 監督:クリストファー・ノーラン 出演:ジョン・デヴィッド・ワシントン ロバート・パティンソン エリザベス・デビッキ

≪217億円を投じたおもちゃ作り≫

アメリカではコロナウィルス禍で長期休業中だった映画館業界。そんな中、公開日の延期を繰り返してまで劇場封切りにこだわったのがクリストファー・ノーラン監督最新作『TENET テネット』である。

ウクライナのテロ事件へ出動した名もなき特殊部隊員(ジョン・デヴィッド・ワシントン)は、仲間と捕らえられ拷問される。やがて何者かに保護された彼は、その忠誠心を買われ、ある任務を与えられる。だがそれは、未来から来た敵と対峙し、人類を救うというにわかには信じがたい内容であった。

このままでは第3次世界大戦が巻き起こる、核戦争よりも悲惨なことになる──。のっけからそんなものものしいセリフが飛び交い、一体何が起こるのかと観客の好奇心は刺激される。

そんな大風呂敷を、CGを使わないアナログのスペクタクルで見せる。ノーラン監督作品らしい、けれんみある超大作といえる。

オープニングの、テロ襲撃シーンから非凡な迫力を感じさせる。本物のうち捨てられた大劇場を改装して、そこに本物の人間を超満員に詰め込み、本物の火薬を炸裂させる。往年のスパイ映画か、あるいはヒッチコックの大作のような、実感あふれる絵作りになっている。

挙げ句の果てには、中古のジャンボジェット機を購入し、格納庫に突っ込ませて爆発させる、そんなとんでもない見せ場まである。まさに反緊縮、映画界の壮大な公共事業というべき大盤振る舞いである。

もっとも冷静に考えれば、なぜCGで作らないのか観客にはさっぱりわからないわけだが、本人いわく、本物でやったほうが効率もコスパもいいのだという。冗談じゃないというプロデューサーの心の声が聞こえてくるようである。

監督のこうしたわがまま放題がここまで許されているのは、ハリウッド広しといえどもこの人の映画だけであろう。ノーラン監督は「ノーCG」をブランドとしているから、本物の飛行機を壊す話が話題になる。だからやれるのであって、普通はそんなバカなことはしない。

そして、そうした見世物小屋的な要素がないと、この監督の最近の映画は作家性が強すぎて、万人に訴えるのは難しい。

この映画のメインテーマである時間の逆行概念がまさにそれ。これは非常に分かりにくい。

タイムリープではない。時間の逆行である。これを文章で表すのは困難なのだが、一つの画面の中に、時間を巡行する人達、すなわち我々と、未来から過去へ戻ってくる人たちが同時に存在している。それがこの映画最大の売りである。

その場面は、わざと生理的に不快に作曲された劇伴音楽の効果もあって、感受性豊かな人が見たら気分が悪くなるかもしれない。それほどのものだ。

その時間概念を前提に脚本が突っ走るので、一度や二度見ても、ストーリーを把握するのすら困難だろうと思われる。

その意味でこの映画は快適ではない。むしろ不快な感じもするが、究極の非日常感を味わえるともいえる。

217億円もの予算で、観客の「快」を追求しない、むしろ「不快」な映画を作り、ヒットさせ続けるというのはすごいことだ。

それでも、その大予算にものを言わせて見世物小屋的な「反緊縮アナログスペクタクル」さえぶっこんでおけば、古き良き映画をマンセーする年寄たちが無条件で賛美し、勝手にノーラン映画のブランド力を高めてくれる。どんなに独りよがりな内容でも、リピート必至で不親切なつくりでも許される。

言ってみれば、2回濡れ場を入れてさえおけばあとは何してもいいよ、というピンク映画のルールと同じである。

だいたい、爆発だのアクションだのといったスペクタクルシーンにおいて、毎度毎度「やはりデジタルなんかより本物、アナログのほうが迫力が上だ」などと、したり顔で語る評論家も結構いい加減なものである。

そうした場面は、CGが最も得意とするジャンルである。それなのに、本当にアナログのほうが良いのであれば、ここまでデジタルが普及などするはずがないではないか。

実体撮影には物理的限界があり、それを突破するカメラワーク、規模を実現するためにデジタル技術は大きな役目を果たしている。なんでもかんでも「アナログマンセー」する人たちは、映像革命を成し遂げたデジタルクリエイターたちへの敬意が足りない。

ノーラン監督がすごいのは、そのような制限だらけのアナログ演出を、わざとCG有利の土俵で見せつけることで話題性を作り、しかも毎回そこそこいい勝負をしていることだ。

ノーラン監督はこの路線で何十年もやっているわけで、アナログでもデジタルっぽいスペクタクル作りをするテクニックについては、おそらく右に出る者はいないだろう。

本作の飛行機激突シーンも、CGで作ればもっと迫力あるものができるに決まっているが、それなりに物凄い絵を作っている。これはまさにカネの力も大きいわけで、ノーラン映画を見る理由に値する。超大予算の超難解アナログ映画、なんてものはほかにないのだから。

おそらく日本でも、何としても脚本の難解さを読み解きたいノーランマニアがリピートして劇場へ押しよせることになるだろう。口コミも盛り上がるはずだ。そうした消費者行動は、何やらすごい映画があるぞという怖いもの見たさで一般客もそこそこ引っ張ってくることになる。

それがおのずと興行成績を押し上げる。映画館にとってはうれしい悲鳴であり、感謝感謝の嵐である。このコロナ禍大不況で、業界人にとってクリストファー・ノーラン監督は、ほとんど神様みたいな存在といえる。

読者の皆さんにって、『TENET テネット』が合うかどうかは『インターステラー』(14)や『インセプション』(10)が好きかどうかで決めればよい。この作品は、『ダークナイト』(08)や『ダンケルク』(17)のような、比較的万人向けなノーラン作品とは明らかに異なる系統である。

大予算のアナログ手法でパズラー映画を作るという、歴史上かつてない大がかりな遊戯を続けるノーラン監督。本人の言葉とは裏腹に、リスクを考えたらこんなにコスパの悪い映画作りは他になく、ほかの誰も真似できない。

幸いにして今はソフト化や配信もある。映画館をリピートするのはハードルが高くても、チャンネルと時を変えて何度か見る機会は普通にある。

そう考えるとIMAXカメラ、フィルム撮影、ノーラン映画の中でも最小といわれるほどVFXカット数が少ないという、おどろくべき事実を知れば(つまりクライマックスの攻撃シーンすら、デジタル合成ではないということだ)、一度目くらいは映画館で見ておいて損はないかな、と思えるわけである。



連絡は前田有一(webmaster@maeda-y.com 映画批評家)まで
©2003 by Yuichi Maeda. All rights reserved.