『CLIMAX クライマックス』80点(100点満点中)
監督:ギャスパー・ノエ 出演:ソフィア・ブテラ

≪素敵なダンスが見られる心温まる感動物語≫

フランスのギャスパー・ノエは、おそらく現時点で世界一凶悪な映画を作りつづける鬼才で、本記事につけた見出しも大嘘のブラックジョークなので、間違っても普通の人はこの映画を見に行ってはいけない。

96年、有名振付師の舞台に出られる千載一遇のチャンスをゲットした22人のダンサーたちが、山奥の建物で最終リハーサルを行っている。そこは電話も携帯の電波もない、隔絶された密室だ。終了後、打ち上げで手作りのサングリアに酔う彼らは、やがて体調がおかしくなってきたことに気付く。だが時すでに遅し、そのサングリアには何者かが強力なドラッグを入れていたのだ。

とにかく……この監督の映画はどれもそうだが……最初の1秒からすさまじい緊張感、期待感にあふれている。この瞬間を体験するためなら、5年でも7年でも待つ。そう思えるほどに、他に類を見ない、究極の個性を持つ監督である。もしもギャスパー・ノエとウマがあったが最後、他の監督の作品では二度と満足を得られない。そういう危険な映画体験ができる。その覚悟がある人だけが見たらいいと私は思っている。

「世界に誇るフランスの映画」と、相変わらずの不気味シュールなゴシック文字で出た後、セローンのビートに乗って10分間も続くダンスシーンでそれはいきなりクライマックスを迎える。ここで間違いなく、100パーセントの人が度肝を抜かれる。

このダンスシーンはどれほど褒めても褒めたりないほどの凄まじいもので、これまであらゆる映画に存在したダンスシーンをも軽く超えてくる、まさに映画史上に残る最高峰と言ってよい。この狂気じみた踊りを映像に残すために、ノエ監督は本作のキャストに役者をあてることを拒否し、ダンス技術のみを条件に無名有名かかわらずオーディションとスカウトを繰り返して探し出した。

サングリアの毒を皆が口にしたあとは、ATフィールドを失うがごとく理性と狂気の境界線がぼやけていき、人間が人間でなくなっていくさまを、限界なしの超絶過激描写でとことん見せていく。ひたすら見せていく。ただただ見せていく。

残酷描写、エロ描写、精神に打撃を与える展開のてんこもり。覚悟なく劇場にはいったものは、ああなんで私はこんな映画を見に来てしまったのだろうと後悔すること確実である。

ノエ監督の映画はどれもR18+どころかR30+くらいにしたほうがいいほど過激で不健全だが、この映画もそうだ。ノエ本人はドラッグや酒の害を知るためにも青少年に見せたいなどと、のほほんとした顔で言っているが、冗談もたいがいにしてくれというほかはない。

ちなみに、そんなノエ監督の毎度おちゃめな発言を真に受けたか、日本はかつて『カノン』(98年)をR15(他国はそろってR18+)で公開したくらいノエ好き国民である。この最新作も、アメリカではたったの5館公開と、やんわり拒絶されているのに、日本ではその倍以上の公開劇場が予定されている。さすが、日本の映画ファンは気合が違う。

ノエ監督は、前作『LOVE【3D】』(15年)ではセックスだけで恋愛を描いてみせる離れ業をみせたが、今回は、ダンスだけで死と狂気を描いている。

彼の死生観はキリスト教的というより仏教的で特殊なのだが、だからこそ日本人との親和性が高い。さらにいえば、彼の映画で使われるテクノミュージックと彼が出会ったのは東京の街。とすれば、ノエの映画は常に東京の狂気をはらんでいるといえるのではないか。私はそう分析している。

一見、わけがわからない、何をやりたいのかさっぱり不明な映画に思えるが、根底にそうした宗教性、思想性がある事をしってみれば、ぎりぎりわかったような気になれるだろう。

『CLIMAX クライマックス』を、通常の映画文法に沿って理解しようとしても困難である。演技は全部即興、脚本はたったの5ページ。そんな、いつものノエ文法で作られた本作だが、今回は初めて酒もドラッグもやらずにしらふで作ったそうなので、すこしはわかりやすいかと思ったらとんでもない。実際はキャリア一二を争うくらいわけがわからない、トリップ体験の極みである。

『CLIMAX クライマックス』は、既存の映画にも、人生にも飽き足らない、まさに選ばれしものだけが見られる至高の映画作品。ハマる人は抜けられない、そんなギャスパー・ノエ作品らしさがつまった危険作、である。



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