『アド・アストラ』60点(100点満点中)
監督:ジェームズ・グレイ 出演:ブラッド・ピット トミー・リー・ジョーンズ
≪さまざまに解釈できる哲学的作品≫
ご存知の通り、宇宙を題材にした映画はたくさんあるが、先端技術の象徴だけあってそのときどきの時代性の影響を強く受ける印象がある。冷戦期には2勢力の大戦争を描いた『スター・ウォーズ』が人気を博する、といった具合だ。
では2019年の宇宙物はどうかというと、『アド・アストラ』にしても『Lucy in the Sky』(邦題未定)にしても、宇宙を人間にとって必ずしもプラスとなる存在として扱っていない点が特徴的である。
後者は厳密には宇宙ものではないかもしれないが、広大な宇宙空間によって人間が悪いほうへ変わってしまうという点で『アド・アストラ』と価値観を同じくするように思える。
これは、今のアメリカでは、宇宙を未開のフロンティアだと、能天気に描くことが難しくなっているということか。
地球外生命体の探究のため、海王星エリアに飛び立ち行方不明となった伝説的宇宙飛行士クリフォード(トミー・リー・ジョーンズ)。彼の息子ロイ・マクブライド(ブラッド・ピット)は、成長して崇拝する父と同じ道を歩むことになった。やがて父が消息不明となってから16年がたったころ、ロイは父が生きている可能性があることを知らされる。宇宙軍の機密情報によれば、父が海王星近くで行っている実験の暴走により、地球にまでサージの悪影響が起きているという。
故障なのか何か理由があるのか、父が地球からの呼びかけに応じないため、息子ならばということでロイに探索救助作戦の白羽の矢が立つという展開。
通常のハリウッド娯楽映画ならば、幾多の困難を乗り越え救出ミッションを完遂し、感動の再会、ということになるのだろうが『アド・アストラ』はまったくそうした展開にならない。
そもそも、ロイが登場時から完全に病んでいる。男メンヘラである。彼には感情の起伏がなく、だからこそ恐怖心で腕が縮むことがなく、船外ミッション等では優秀との評価を受けている。人間として欠陥品なだけに、ロイは優秀な飛行士でいられるわけだ。
そんな彼が、父親(がいると思われる海王星)に近づくにつれて人間性を取り戻していく、いけるのか……というのが本作品の本筋となる。
そんなわけで『アド・アストラ』は、いろいろな見方ができる作品である。
たとえば、結局、宇宙空間はあまりに人間の想像力と対応力を超えており、適応なんてできやしない。夢もへったくれもない、人は半径50メートルで生きていくべき生物なのだ、と教訓を得ることも可能だ。
あるいはここでいう宇宙空間を、別の何かの暗喩と解釈することもできる。
この場合、未開のフロンティアをもとめた父は、アメリカそのもの、あるいは植民地主義ととらえる事ができる。その上で結末を見れば、なるほど……と合点がいくこともあるはずだ。
その見方によって、本作がハッピーエンディングなのか否かも別れるし、当然、満足度も変わってくる。そんな可変的作品ということだ。個人的にはハッピーな方だろうと思うものの、それ以外のとらえ方が間違っているとは全く思わない。このあたりは鑑賞者の死生観にもよる。
『エヴァの告白』(2013)、『ロスト・シティZ 失われた黄金都市』(2016)のジェームズ・グレイ監督によるオリジナル脚本ということだが、彼は物理学者エンリコ・フェルミの核開発の話に触発されてこれを書いたという。
エンリコ・フェルミといえばマンハッタン計画において、日本への原爆投下につながる核分裂の研究をしてきた一人だが、その実験過程の中で、場合によっては北米大陸がかなりの確率で吹っ飛ぶと確信していたとされる。それでも彼は平然と研究を進めていた。
ある意味、狂気というほかないこの出来事、研究者心理について、監督は本作に投影したということだ。
北米大陸が吹っ飛んでもやるのだから、誰にも迷惑がかからない深宇宙ならば、人間はどれほど人間性を失うことか──ということだろう。本作のクライマックスに「核爆弾」が出てくる点も、こうしたことと無関係ではあるまい。そもそも、人間性が欠落している主人公ロイが、一般には超優秀な飛行士とされている本作の逆転的世界観もまた、このテーマを象徴しているとみるべきだ。では彼は変われるのか、変わったとしたらどうなるのか。そこに監督の意思や意見が反映されている。
技術的リサーチはNASAや元飛行士に対して徹底的に行い、CG使用は抑え、アナログ技術を中心に実感ある撮影を心掛けたという。
そのわりには「それは無理だろ」と思うような展開が無きにしも非ずだが、監督らのリアリティにこだわった撮影と重々しい演出効果のおかげで、荒唐無稽に感じることはほとんどない。
哲学的で、重層的な構造やメタファーをあれこれ探って楽しむタイプの作品だから、ブラッド・ピット素敵! なミーハーな人たちには全くすすめられない。そもそも最近のブラッド・ピット氏はスター業にさほどの執着がないようだ。逆に、こういうエッジの効いた作品における難しい役柄だからこそ、出演を決めたに違いない。単純なエンタメスターとしての仕事をする気は、おそらくもうないのだろう。
登場メカ類はあくまで現在ある技術の延長線上、という観点からデザインされているので、そうした点に興味がある人にも向いている。
ということで、決して出来が悪いわけではないが、相当観客を選ぶためにこの点数とした。読者諸氏に、うまく真意が伝わることを願う。