『アス』65点(100点満点中)
監督:ジョーダン・ピール 出演:ルピタ・ニョンゴ ウィンストン・デューク

≪カルト的要素たっぷり≫

大ヒット中『ボヘミアン・ラプソディ』(18年)のクライマックスには、「ライブエイド」の場面がある。86年に実際に米英で開催された大規模チャリティコンサートだが、実はこのあとに、ライブエイドの感動よ再びということでアメリカで行われた奇妙な慈善活動があった。「Hands Across America」といって、650万人が参加したイベントなのだが、その内容は、みんなで手をつないで全米横断しようという感動的な企画であった。

ところが少年時代のジョーダン・ピール監督は、活動停止した街で実際に住民みんなが無言で手をつないでいる様子をいきなり目の当たりにして、いいようのない恐怖を感じたという。やがて大人になって、このときのトラウマをもとに作ったのがこの『アス』だ。

とあるアッパーミドル一家の父ゲイブ(ウィンストン・デューク)は、妻アデレード(ルピタ・ニョンゴ)や娘、息子とカリフォルニア州サンタクルーズの別荘にやってきた。友人一家とビーチで過ごした夜、彼らの別荘に停電が起きる。そこでふと外を見ると、敷地の中に彼らと同じ家族構成の黒人一家4人が、手をつないでこちらを見ているのだった。

恵まれない子供たちのために路上に出て手をつないでいたら、ウチの子供がショックを受けておっかない映画を全世界の人に作って見せてしまいました。シャレにもならない話だが、考えてみりゃはたから見てあんなに不気味なものもない。80年代とはそういう、ひとりよがりな時代でもあった。

ともあれ『アス』は、そのときの監督の感じた怖さが実感を持って伝わる、平均よりちょっぴりよくできた、怖くて知的なホラー映画である。冒頭に字幕で出てくる、アメリカ大陸には何千キロだかの正体不明な地下道がある……なんてこけおどしがいい効果を上げている。

この映画は基本的にガチで怖がらせる系なので、ときおりキャラたちが投げてくるギャグに、すがるように笑ってしまう。感情のふり幅を大きくさせるための定番の演出だが、バランスが良い。物語としては相当トンデモなところへ落としていくので、こうやって観客の心をつかんでおかないと許してもらえない。ジョーダン・ピールは頭がよく、映画の文法も理解している。

また本作は、伏線やトリビア、ダブルミーイングを設定にちりばめた、複数回鑑賞を前提としたつくりになっている。それこそ服の絵柄にまでなるほどね、と後から気づく仕掛けがあったりする。

日本の宣伝部もそのあたりはよくわかっていて、チラシにもカタカナの「アス」より大きく原題の「US」を表記している。そりゃそうだ、この映画の「私たち」とは「US=アメリカ」でもある、という英語圏の人ならすぐにわかる二重設定(というほどでもないのでここに書いているわけだが)がまずは前提条件として理解できていないと、なんたってこの映画を十分には楽しめないのだから。

そんなわけでこの映画のテーマは、見る人が見れば明らかなのだが、もしもわからない人は上記の「前提条件」に加え、本作に繰り返し出てくる双子のモチーフが何を象徴しているかを考えてみるといい。

その二つを組み合わせれば、よほどの鈍感な人でも、この映画が何をこの2019年に伝えたいのか、察することができるだろう。

黒人監督のジョーダン・ピールにとって意図的なのか、あるいは無意識かはわからないが、実はこれはアジア的な世界観に近いものがある。その点を私は、なかなかユニークだなと感じている。

あとは当サイト「超映画批評」が毎度的確に見抜いているアメリカの大流行テーマ「分断」要素。それが当然この映画にも見て取れる。最近は大手マスコミや他の文化人たちもこの点をようやく書くようになったが、周回遅れにもほどがある始末。世間の情報強者は16年間続く「超映画批評」を参考にこうした変化をとっくに先取りし、投資で儲け、美人で巨乳の彼女を作り、世界を支配して膝に猫をのせて葉巻を吸う悠々自適の生活をしている。最近当サイトを知った皆さんも、すぐにブックマークしておくように。

さて、これだけいろいろ仕掛けてあると、さすがの私でさえ一度では気づいていない小ネタがたくさん埋もれているだろうことは想像がつく。

ただ問題は、それらを確かめるためにもう一度、あるいは二度三度と見に行きたくなるほどの「面白さ」が、この映画には足りない点だ。

ジャンルは違うが、日本のアニメ、エヴァンゲリオンシリーズなんかはその点、ただ単純に近未来SFとして抜群に面白く、繰り返しの鑑賞に耐えられるため、あれほどの数のマニアを生んだ。こうした知的なカルト作には、意外にも万人にとっての「面白さ」「わかりやすさ」が実は重要だったりする。

オカルトや都市伝説や終末ホラーなどは、かつては小ばかにされたジャンルであった。だが今はCGや演出技術の向上により、かつてとは次元の違うリアリティを付与することができるようになっている。

このことにアメリカの映画人はある時点で気づき、大きなビジネスにつなげているわけだが、日本のホラー監督などはまだその流れに乗れていない。というか、気づいているのかさえ怪しい。

そんな作り手の皆さんにもぜひ『アス』を見てほしいと思う。多少残念なところはあるものの、非常に2019年らしい、様々な勝ち組要素のつまった映画である。見る人が見れば、それはすぐにわかる。



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