『記憶にございません!』70点(100点満点中)
監督:三谷幸喜 出演:中井貴一 ディーン・フジオカ

≪これを安倍晋三首相に見せるとは≫

三谷幸喜監督は、『記憶にございません!』が完成したとき真っ先に安倍晋三首相に見せ、感想を聞いたという。そのニュースを聞いた時、私は思わず大笑した。なるほど、そのやりとりこそがこの映画の真のエンディングだったというわけか。三谷監督もなかなかエグいことをやるものだ。

総理大臣の黒田啓介(中井貴一)は、全国民から嫌われている不人気な政治家であった。あまりに人気がないので、演説中に石まで投げられる始末。ところがその石が頭部に当たり、彼は記憶喪失になってしまう。秘書官の井坂(ディーン・フジオカ)や番場(小池栄子)らごく限られた側近だけで秘密を共有したまま、「普通のおじさん」になってしまった黒田政権ははたしてどうなるのか。

三谷幸喜監督自身は、この映画を風刺だとか政治批判の意図をもって作ったわけではないと明言している。モデルがいるわけではないとも。

だが「憲政史上最悪の総理」とか「消費税を何度も上げたバカ」「あの夫人はなんでもペラペラしゃべる」など、明らかに安倍晋三以外には当てはまりようのない修飾語が使われていたりと、「(現実と)かすったかな」(by 安倍晋三)どころではない、今の日本と意図的に共通させた要素が見て取れる。

これを首相本人に見せて感想を聞くというのだから、凄まじい話である。映画を見た後にあの対談の様子を改めて見ると、監督の横に座っている男がとてつもないマヌケに見えてくる仕組みである。まあ、憲政史上最悪なのだからその点に意外性はないが、なかなか粋なラストシーン(後日談か)といえるかもしれない。エンドロールの間にオマケをはさむワンパターンなアメコミ映画よりはシャレがきいている。

そんなわけで『記憶にございません!』は企画やアイデアとしては素晴らしいのだが、残念ながら出来栄えは完ぺきとは言い難い。

役者選びに定評ある監督だからそれぞれのコンビネーションはばっちりだし、持ち味も生きている。ダメ総理がいい人になってしまう設定の面白さを存分に生かした序盤のギャグシーンもパーフェクト。爆笑しながら見ることができる。

記憶喪失した男が善政を敷くようになる展開は、「人は、変わるのは難しいが変わることには価値がある」テーマとしても適切。コメディーにとどまらない展開もあり、全体のまとまりもよい。

ただ、こうしたテーマを描くなら、ディーン・フジオカのキャラクターの背景と内面はもう少し丁寧に描いていたほうがなおよかった。

人はきっかけさえあれば変われる。良くなれる。それを言いたいならば、この物語における最重要点は、「総理の記憶喪失が彼にとってのきっかけでもあった」という部分である。

そこに共感と感動を持たせるためには、この井坂というキャラクターを掘り下げ、変わる前と変わった後のギャップ、そしてその理由を事前に描いておくのが効果的である。

現状では、「総理もあの調子だし、何だか面白そうだからノリでついていってみるか」といった風に見えてしまうし、それは井坂のキャラ描写についての、監督の本意ではないだろう。

三谷幸喜監督作品の、これは毎度思う足りない点ではあるのだが、今回はとくにこの点をうまく処理できていれば、まれにみるコメディドラマの傑作になれた可能性があった。

また、序盤はうまく回していたコメディーシーンも、ナンセンスな米大統領の登場以降は失速。安倍首相のコメントではないが、それこそ現実世界をかするような危険な笑いを臆せず打ち出していくことで、逆に監督が目指した普遍的な政治コメディーになったのではないかと感じられ、悔やまれる部分である。

それにしても興味深いのは、かつてはビジウヨ的企画を積極的に採用していた東宝が、『アルキメデスの大戦』(7月公開)に続き、またも真逆に路線転換したように感じられる点である。

とくに『記憶にございません!』の場合は、構想自体は相当前からあったのにプロデューサーから断られ続けたいわくつきの企画。これをこの2019年にあえてゴーサインを出したのは、会社としてなにがしかの戦略的意図に基づいてのことだろう。

そのような点から、世の中の潮目の変化を読み取る。これが当サイト超映画批評の真骨頂である。ここを読んでいれば、いち早く世の中の動きを察知できる。まだの方は、今すぐブックマークすることを忘れてはならない。

「記憶にございません! 」 オリジナル・サウンドトラック
中井貴一さんも歌ってます。


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