『劇場版 ファイナルファンタジーXIV 光のお父さん』75点(100点満点中)
監督:野口照夫 出演:坂口健太郎 吉田鋼太郎

≪ゲームを知らない人にもすすめられる佳作≫

ファイナルファンタジーというと、映画人にとってはあるトラウマ(莫大な製作費をかけながら失敗作とされた01年版)が頭をよぎるのだが、『劇場版 ファイナルファンタジーXIV 光のお父さん』はそれをついに吹き飛ばす、人間ドラマの傑作として仕上がっている。

単身赴任中だった父・暁(吉田鋼太郎)が、突然会社を辞めるといいだした。心やさしい息子のアキオ(坂口健太郎)はそれを機に、長年ろくに会話すらしていなかった父と、なんとかやりなおせないかと、暇になった父にオンラインゲーム「ファイナルファンタジーXIV」をやらせてみることを思いつく。

『ドラゴンクエスト ユア・ストーリー』はゲームファンを敵に回し、大変な炎上振りとなっているが、日本のRPGとしての二大巨頭『ファイナルファンタジー』も同時期に映画になっていることはあまり話題になっていないのではないか。しかも本作は、ドラクエとは真逆に、このゲームのファン(いやそれ以外も)が見たら号泣確実。テレビゲームが持つよい部分を、堂々とうたいあげる横綱相撲となっている。

この記事を読んでいる若者たちが理解してくれるかどうかはわからないが、私のような40代は、テレビゲームというのは悪いもの、との風潮の中で育った。いわく、目に悪い、勉強しなくなるから悪い、外で遊ばなくなるから悪い、金がかかるから悪い、悪影響だらけ、というわけだ。

しかし、ゲーム業界のがんばりと、ゲームで育った世代が社会の中核になるにつれてだいぶ市民権を得たというか、マシになってきたきらいがある。だからこうした映画が作られるまでになった。

この映画のストーリーは、社会人の息子が父親をオンラインゲームにハマらせ、正体を隠して近づいていくというものだが、20年位前までなら、大の大人がテレビゲームにはまる設定そのものに説得力が生まれにくかっただろう。その意味で、非常に現代的な作品と言える。

この映画では、オンラインゲームが持つ長所をいくつもストーリーに生かしている。

たとえば引っ込み思案な性格の人や、上下関係、性別にかかわりなく本音で付き合える社交の道具としての側面。この匿名世界の中では、それこそ人種差別もなければ、障碍者差別も性別差別も、引きこもりが劣等感を抱くことない。その気になれば、だれとでも対等に付き合える理想社会だ。

いま、ハリウッドでは「分断から和解へ」が大きな潮流となっているが、日本の『劇場版 ファイナルファンタジーXIV 光のお父さん』は、意外にもそれを最も体現している作品と見ることもできる。もしこれをアメリカの映画人にみせたら、意外と受けるのではないか。

また、そのくらい本作は優れたドラマでもある。ゲーム画面でのキャラクターに「演技」をさせる斬新な映像面でのオリジナリティもあるし、実写ドラマ部分とのつながりにも違和感はない。キャラクターとプレイヤーがぴったりと一致する。このあたりはテレビドラマ版でスタッフが経験を積んだ賜物だろう。

また、もともとの原作であるブログ版には登場しない妹を、いま一番勢いのある山本舞香が演じており、映画ならではの見どころにもなっている。父親役は、ドラマ版の大杉漣が亡くなったこともあり吉田鋼太郎に変更されているが、本人は大のゲーム好きながら初心者のふるまいを見事に演じきっており、幾多の笑いを生み出している。くしくも吉田鋼太郎は『ドラゴンクエスト ユア・ストーリー』にも声優として出演している。絶賛と炎上。両極端な大作RPG映画化にかかわり、彼はいま何を思うのだろうか。

閉塞感と問題だらけの現代社会の中、我々はみな生きるだけでも必死な時代だ。つらい思いをする人の中には、それに加えて孤立している者もおり、彼らに一人じゃないと伝えることが社会的な急務ともなっている。

その点『劇場版 ファイナルファンタジーXIV 光のお父さん』は、オンラインゲームがその一つの救いとなっている点を示唆しており、心強く感じられる。と同時に、このタイトルの魅力を伝える主目的も両立させており、高く評価できる。

これを見れば、ファイナルファンタジーのファンは、俺たちの好きなゲームをこんなにも肯定的に描いてくれた映画のスタッフに心から感謝する事だろう。そしてそれは、彼らからお金をいただく映画の性質からすれば、圧倒的に正しい製作態度である。

さて、主人公のお父さんは、この年代ながらオンラインゲームという新しい趣味に思いっきりハマった。それはなぜなのか。

もちろん、ゲームが良質だったからというのもあるが、それだけではない。じつはそこに、息子との輝ける光に満ち溢れた思い出があったからである。

だれしも、子供が大きくなれば、あるいは自分が老いていけば、言葉で愛を伝えることは難しくなる、それが普通だ。だがそれでもけっして気持ちが変わるわけではない。

コミュニケーションというのは、だれにとっても難しいものだ。それは親子で会っても同じだ。

本作は、そのすれ違いをファイナルファンタジーが埋めるという構図である。だからゲームタイトルはあくまで謙虚に本筋のわき役に、あるいは小道具に徹しており、真に描いているのは親子の愛ということだ。

シャイな日本人らしい、好感度の高い作劇だし、それが意外にも普遍性を持つのだから痛快でもある。

『劇場版 ファイナルファンタジーXIV 光のお父さん』は、このゲームを知らない人、ドラマ版やブログ版を知らない人にとってもまったく鑑賞に支障がない。その点もいいし、ぶらりと映画館に入ったら、この映画すごく良かったね、と幸せな気持ちになって出てこられる事確実である。

家族で見に行くにもいい。私は本作を強くすすめる。



連絡は前田有一(webmaster@maeda-y.com 映画批評家)まで
©2003 by Yuichi Maeda. All rights reserved.