『ディリリとパリの時間旅行』65点(100点満点中)
監督:ミッシェル・オスロ 声の出演:プリュネル・シャルル=アンブロン エンゾ・ラツィト

≪オスロ監督の世界観の集大成≫

フランスのベテランアニメ監督ミッシェル・オスロは、独特の絵柄と教訓的なストーリーのアニメ作品で高く評価されている。本作でも日本初登場『キリクと魔女』(98年)以来、はずれのない監督として紹介してきたが、最新作『ディリリとパリの時間旅行』の出来ははたしてどうか。

ニューカレドニアからパリにやってきたハーフの少女ディリリ。科学と芸術が花開いたベル・エポック時代のパリには、彼女に刺激を与えてくれる才能が街にあふれていた。知り合った配達人のオレルの自転車の前かごにのって街じゅうを回るディリリは、そうした人々と交流しつつ、ちまたで話題の少女誘拐事件の謎を追うのだった。

監督らが4年間ロケハンをして撮りためた写真をもとにした背景に、「女性がロングドレスを着た最後の時代」を呼ばれる当時の服飾文化を再現したキャラクターが跋扈する、非常に芸術性の高いアニメーション。切り絵調とでもいうべき素朴な動きともよくマッチした、いつものオスロ節が味わえる。

明らかに年齢が離れている配達人の少年がナンパ、いやアプローチする少女ディリリは妙に大人びているが、この凸凹な男女の設定がそれを強調している。と同時に少女らしい好奇心をストレートに大人たちにぶつけて狼狽させる展開はどこか『キリク〜』のようでもある。この監督は、こうした子供の視線をうまくつかって「改めて考えてみると世の中いろいろおかしいよね」と感じさせるパターンが得意である。

社会派アニメーションの監督らしく、『ディリリとパリの時間旅行』では、男性至上主義者というものが悪役として設定されている。あくまで素朴な子供の目から「それってヘンだわ」と訴える構図なわけだ。

ベル・エポック時代には、華やかな進歩の陰にこうした差別主義があったのだ、ということらしいが、LGBT映画全盛の現代にもリンクしてくるテーマかと思ったが、意外にもそれは感じなかった。娘を持つ親、フェミニストの人たち、そういう方々が見れば多少は共感度が上がるだろうとは思うが、一般的にはややカビ臭いテーマだな、といった印象である。

これまで移民問題をはじめ、先験的なテーマを内包させてきたこの監督にしては、急に矮小化したというか、陳腐な映画を作ったな、というのが正直なところ。ハリウッドが「分裂からの和解」を必死に探っている今、見る前はタイムリーかなと思ったが、その期待は裏切られた。

キュリー夫人やパスツール、ピカソ、マティス、モネ、ロートレック、サラ・ベルナールら、この時代を彩った天才たちの力を借りて、有色ハーフの少女ががんばる。やがて、様々な人種、個性を持った参加者ただの一人として欠けたら成功しない大作戦に挑む……。象徴的で思わせぶりなストーリーは、そんなわけでやや不満といったところだ。

ただし、ベルエポック時代のパリの、人類史に残る宝石のような美術の数々、そのエッセンスは満ち溢れている。部分部分では感動的な場面もある。決して悪くはないが、これまでの傑作群と比較するとやや劣る。

これまで、安心して子供たちに見せられる高品質な作品を打ち出してきたミッシェル・オスロ監督。はたして次はどんな作品で楽しませてくれるのか。



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