「工作 黒金星(ブラック・ヴィーナス)と呼ばれた男」70点(100点満点中)
監督:ユン・ジョンビン 出演:ファン・ジョンミン イ・ソンミン
≪バレない"偽物の高級時計"は存在しうるか≫
2019年、北朝鮮と米国の間で探り続けられている和解への動きが世界中の注目を浴びている。
中でも38度線という、分断の象徴のような場所を、分断を進める象徴というべきトランプ大統領に超えさせた劇画的イベントは、間違いなく外交史に残るものといえるだろう。
そこで注目すべきは、この歴史的瞬間にいっちょかみした韓国の外交力だ。そして『工作 黒金星(ブラック・ヴィーナス)と呼ばれた男』は、南北和解が大きく進んだこの1年間の興味深い現状を、韓国外交の裏側から理解するためには格好の作品といえる。
あの両国首脳の国境越えに至るまでに南北朝鮮間でどのような事が起きていたのか。はじまりは90年代にまでさかのぼる。知られざる水面下での壮絶な命のやり取りの一環を、抜群のテンポのよさで見せる、貴重な政治エンターテイメントである。
92年、韓国軍将校パク・ソギョン(ファン・ジョンミン)は、国家安全企画部のチェ・ハクソン室長(チョ・ジヌン)から、スパイとして北の核開発の状況を探るよう命じられる。それを受けたパクはわざと自堕落な生活を続けて軍をクビになるように偽装。生活のために無茶をするビジネスマンに転職したふりをして北への潜入を図る。
スパイ映画は、紛争や諜報戦のさなかにいる国が作ると傑作になりやすい。そんな鉄則を改めて思い起こされる、抜群の面白さを誇るハイテンポなスパイ映画である。
まず、この黒金星(ブラック・ヴィーナス)とは実在の人物で、基本的にこの映画は史実をもとに、魅力的な解釈を加えた作品となっている。
現実のニュースで報じられた黒金星は、韓国のスパイでありながら北朝鮮に便宜を図ったダブルスパイ扱いとなっている。金正日に会うなど韓国諜報史上最大の成果を上げたというのに、最後はこの扱いだ。
国への功労者に対し、一体どういうことかと思うが、どうも国家情報院指導部が保身のため偽装した文書を公開したために、彼は正体がばれ、よりにもよって祖国韓国に逮捕される憂き目にあったという事らしい。
とすると、ダブルスパイなど彼を一方的に糾弾する大手メディアの報道も、話半分で聞いたほうがいいのかもしれない。
何しろこの映画の中で、パク本人が安全企画部(当時。現在は国家情報院に改編)の中で、情報リークによりメディアを操る描写が何度も出てくるくらいだ。組織にとって"不都合な真実"を知る人物は、いざとなれば悪玉に仕立て上げられるのが世の常識である。
それにしても、国の組織が公文書を偽装までして組織防衛し、下の立場の人をひどい目に合わせるとは、まるで日本のモリカケ疑獄事件そのものである。現在の日本の政治は90年代の韓国と同レベルなのか。
さて、映画の中で主人公パクは、見た目はさえないおっさんながらも抜け目ない偽装工作で、着々と北の関係者の信頼を勝ち取っていく。
言うまでもなくこの時代の北朝鮮は、誰であろうとひとたび下手を打てば命がない、今以上に緊張感に満ちた国であった。
そんな国で上り詰めた連中が、そう簡単に敵のスパイを見逃すはずがない。だから、パクが北の関係者とビジネスの案件を進めようとアポをとったり、会ったり、話すだけで強烈な緊迫感が生まれる。
彼はその中で、カセットテープの制限時間(icレコーダーと違い当時は60分テープなど、短時間しか録音できなかった。しかも録音が終わると、テープが停止する際に結構な機械音が鳴ってしまう)を意識しつつ、果敢に情報収集する。
ばれたら一巻の終わりだ。演じるファン・ジョンミンが好感度の高い役者なものだから、こちらもハラハラドキドキ。そんな見せ場がずっと続く。
やがて最大の見せ場、「金正日から招待され北朝鮮に堂々と入国する」驚きの場面がやってくる。
ここで再現される北の空港や町並み、金王朝の"宮殿"などの様子はものすごい迫力である。よくぞこんな映像を作り上げたものだと、久々に映画らしい絵の力、デカ盛り映像を堪能した思いである。
ここでは主人公とともに、私たち観客も厚いベールに遮られた北朝鮮の内情を垣間見てゆく形になる。壮絶な貧困の様子や、そこで暮らす人々の気持ち。様々な思いが見ているこちらにも渦巻いてゆく。
やがて登場する金正日は、いい意味で観客の期待を裏切る振る舞いを見せる。基本的には、愚か者の二世ではなく、反抗を許さぬ独裁者ながら、論理の通じる知的な政治家として描かれている。
彼が終盤に語るセリフのインパクトは、ぜひ劇場で体験していただきたい。ここで明らかになる、衝撃の二国間首脳の真実は、現実の鏡として見ても抜群のリアリティを感じさせ、ノンポリな人間の目を覚まさせる。これが、私が本作を日本人にもすすめる理由である。
本作は、金大中による政権交代直前におきた、守旧勢力の悪あがきが題材の一つとして描かれている。文書を書き換え、敵国(ということになっている)首脳とも通じ、互いの利益(要するに組織の保身)のため平気で他人のカネや命を犠牲にする。
長く権力の座についていたせいで腐敗に腐敗を重ねた、高レベル廃棄物のごとき政治の闇。こうしたものの発生原理と実態を、この映画は暴こうと試みたわけだ。
こうしたとてつもない売国行為、亡国への道を進もうとする"疫病神・タタリ神化した権力"に対し、必死に抗い、しかし真っ先に犠牲になるのが主人公と、そのカウンターパートとなる北朝鮮の高官である。
「心を許してはいけない危険すぎる上司」という共通項を持つ彼らの間には、決して交われないながらも、信頼と友情がはぐくまれている。それは極めて自然な事のように思える。
自国の腐りきった権力者よりも、敵国の愛国者のほうがよほどまともに見える皮肉さが、大いに考えさせられる構図といえる。だましあいの物語の中で、この二人の関係は心地よいオアシスのようでもある。
不祥事続きの韓国安企部を再編しようとする金大中の大統領選の裏側で計画された、とんでもない事件。その中でキーマンとなる金正日を、命がけで説得しようとした南北の男たち。
テンポのいいエンタメスパイ映画は、この最終盤で友情の感動作へと姿を変え、大きな満足感とともにラストを迎える。
と同時に私たち日本人は、エンドロールを見ながら改めて気づくのである。映画の中ではつゆほども語られず、登場もしなかったが、これは日本でいま起きていることそのものだ、と。