「マン・ダウン 戦士の約束」65点(100点満点中)
監督:ディート・モンティエル 出演:シャイア・ラブーフ ジェイ・コートニー

アメリカのふりみてわがふり直せ

「マン・ダウン 戦士の約束」は優れた映画だが、プロによるものも含めて配慮に欠けるネタバレ紹介記事がネット上に溢れているという惨状である。そのため例によって、読者至上主義の当サイトの記事だけ読んで早めにお出かけあれ、とのアドバイスを真っ先に書かざるを得ない。まったく、どうしてああいう書き方しかできないのか……。

若き海兵隊員ガブリエル・ドラマー(シャイア・ラブーフ)は、愛する妻と息子を残し、アフガンの戦場へと赴任する。過酷な戦場生活にもなんとか耐えガブリエルは帰国するが、アメリカの街は変わり果て、妻と息子も行方不明になっていた。彼は親友で戦友のデビン(ジェイ・コートニー)と共に探しに行くが……。

異色の終末ものとでもいうべきか、まるでターミネーターの世界のような街を、屈強な海兵隊員二人が完全武装で歩き回る。戦闘経験は豊富、修羅場も慣れている。だが原因不明の事態を前に、彼らはほとんど無力だ。はたして二人は元の人生を取り戻すことができるのか。

ベネチア国際映画祭やトロント国際映画祭で評価された作品で、宣伝コピーは「衝撃のラスト7分46秒、あなたの心は“えぐられる”」。なるほど、確かに過剰広告どころか適切な言葉といえる。

アフガン戦争あたりのアメリカは、政治的なタテマエを過剰に前面に出し、今思えば無謀な戦いに突入していた。大量破壊兵器、対テロ戦争、明らかに嘘混じりのそうした建前により、戦争に勝っても大きなものを失っていった。世界からの信頼と、兵士の命、そして健康である。我々は、美辞麗句と政治的な理由で、戦場に首を突っ込んではいけないという教訓を得なくてはならないだろう。

映画の中に、これから戦場に赴こうとする夫が、自分を引き留めようとする妻を説得するために、政府と同じタテマエしか言葉が浮かばないシーンがある。この映画における重要な場面のひとつだが、まさに上記の教訓を思い起こさせる。主人公に対する妻の言葉には大変な説得力があり、はっとさせられる。

謎だらけのこの物語にはミステリ的な爽快感があるが、戦争がもたらすものを描くというテーマを持つ以上、見ると重苦しい気持ちになる。だがそれは不快というわけではなく、早めに気付いてよかった、よく考えてみようと思わせる種類のものだ。何しろ日本人にとっては、幸いなことにまだ戦争、戦闘は始まっていないのだから。

だが現実には、危機は確実に迫っている。

南スーダンPKOの日報に書いてあった「戦闘」の文字を必死に否定し「衝突」だと弁明するオンナノコ大臣の姿を見ていると、いち国民として激しい不安感に襲われる。彼女らがそうした言葉遊びにこだわるのは、戦闘と認めたら撤退を余儀なくされるからで、ようは自衛隊を現地にとどめておきたい政治の都合に過ぎない。

まさに「政治的タテマエで戦場に派遣される悲劇」という本作の主題そのものであり、今公開されるのは神がかったタイミングというほかない。

それにしても、こういう映画を見るとアメリカという国は、なんだか世界の貴重な実験台みたいなものに思えてくる。大勢を殺し、殺されてきた彼らの未来は明るくないし、こうした戦争体質を改めたとしてもすぐに社会の改善は望めないだろう。つくづく、こういう国にはなりたくないと思う。まさに、アメリカのふり見てわがふり直せ、である。

兵士は戦場で何を見たのか (亜紀書房翻訳ノンフィクション・シリーズ II-7)
戦争の現場をレポートする衝撃本。


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