「シチズンフォー スノーデンの暴露」80点(100点満点中)
監督:ローラ・ポイトラス 出演:エドワード・スノーデン

資料的価値は点数以上

フェイスブックなどのSNSや、ウェブメールなどインターネットを利用していない人は、いまやほとんどいないだろう。少なくともこの記事を読んでいるすべての人はネットを使いこなしているわけだが、そんな皆さんがやりとりしているそうした情報は、すべてアメリカが(無断で)見張っている。

これは、物的証拠とともにエドワード・スノーデンが暴露した内部告発である。

これまでエシュロンという盗聴システムはよく知られていたが、彼が明らかにしたPRISMの性能と衝撃はその比ではなく、最近では「エクス・マキナ」などのフィクション映画の中でも言及されていたりする。

元CIAにして国家安全保障局(NSA)局員だったスノーデンは2013年、香港で英国の新聞社ガーディアンほか幾人かのジャーナリストとビデオカメラの前で、人類史上最大ともいわれるこの告発を行った。

これが俗にいうスノーデン事件だが、「シチズンフォー スノーデンの暴露」はまさにそのとき撮影された映像を当事者がみずから編集した一次資料そのものだ。これこそ、世界の諜報シーンを揺るがした歴史的瞬間というわけである。

ホテルのベッド上でTシャツ姿でフランクに話す若者の姿は、口から出てくる事実のわりにはあまりにも現実感がない。

だから取材班も当初は懐疑的なのだが、やがて数々の証拠書類を目の当たりにするにあたって、どうやらとんでもないスクープをモノにする高揚感に包まれてゆく。ドキュメンタリーだからその空気の変化が手に取るようにわかるし、その後の世界の激変ぶりを私たちは知っている分、非常に興味深く見ることができる。

映画では、証言の重要部分を知ることはもちろん、それを発表するまでの緊張感、その後、拷問や殺害の危険性が現実的になってからの緊迫する周辺の様子まで描いて行く。

撮影クルーたちの人生もこの日を境に一変する。マスコミにも、どこかの安部政権とは比較にならないほどあからさまな圧力がかかる。なにしろこちらは下手をすると命が失われる実感がある。チャラ男然としていたスノーデンの表情から余裕が消える弁護士との会話シーンなどは、この上なくスリリングだ。

シカタガナイ教の根強い信者である日本では、スノーデン事件そのものも、NSAがやっている通信傍受が意味する危険性もまったく省みられることがなかったが、この映画を見るとあらためてこの問題が深刻であることがわかる。プライバシーを失うとはどういう意味なのか、ある人物が語る場面には説得力がある。

「国民の個人情報収集は、独裁者が真っ先にやろうとすることです」という、諜報のプロによる台詞も心に響く。いま周回遅れでアメリカの後追いをすべく安倍政権がしている事を思い出すと、いち日本人として暗澹たる気分になってくる。

マイナンバー導入に秘密保護法、通信傍受法の改正、刑事訴訟法の改正、ヘイトスピーチ解消法など、自民党がやっていることは「いざとなれば国民を自分たちがコントロールする」という一点において、何十年も前から一貫しておりブレることがない。

こうして2年も前に作られたこの映画が指摘している通りのことを、もはや隠すこともなく堂々とやっている。こうして愛すべき我が国は、安全保障や構造改革の美名のもと、"美しい国"とやらに変えられてゆく。二度とは元に戻らない。嘘を嘘と見抜けない人々の支持のもと、とどまることなく暴走を続けてゆく。

ところで「シチズンフォー スノーデンの暴露」を見て感心するのは、あちらのジャーナリストの仕事ぶりである。彼らは自由を脅かす相手にたいして、迷いなく突っ込んでゆく。日本のように、権力側の事情を思いやるような様子はない。それは自分達の仕事ではないとの信念を持っているわけだ。あちらはあちらで問題を抱えているだろうが、こういうところは羨ましいと思う。

私はこの映画をメモを取りながら見たが、情報量が多く一度だけの鑑賞ではもったいないくらいであった。ただ、日本公開が遅れたためにその鮮度が落ちて非常にもったいないとも感じた。

そしてなによりPRISMにしろエシュロンにしろ、アメリカの通信傍受システムには日本が国として深く関わっているであろうにも関わらず、何ら言及がないことには失望させられた。

そうした疎外感を感じさせるのはマイナスであったが、それでも自由について、ジャーナリズムについて、そしてなにより今の日本について考えさせられる点では非常に良い映画である。



連絡は前田有一(webmaster@maeda-y.com 映画批評家)まで
©2003 by Yuichi Maeda. All rights reserved.