「葛城事件」75点(100点満点中)
監督:赤堀雅秋 出演:三浦友和 南果歩

フロリダ州銃乱射事件は異様なる偶然

無差別殺人事件は、いつどこででも起きる──。そんな警鐘をならした映画「葛城事件」の公開に合わせるかのように、フロリダ州オーランドで全米史上最悪の銃乱射事件がおきた。こういう恐ろしい偶然が起きた映画は、何はともあれ見ておいた方がよい。

金物屋を営む葛城清(三浦友和)は、妻と二人の息子に恵まれがむしゃらに働いてきた。マイホームも建て、理想の家族を得たように見えたが、じっさいは傲慢かつ暴力的に支配しようとする彼自身の問題もあって家族はばらばらであった。出来のいい長男の保(新井浩文)は会社をリストラされ、弟の稔(若葉竜也)は引きこもるばかり。やがて、そんな一家のバランスが崩壊する日がやってくる。

赤堀雅秋監督が主宰する劇団「THE SHAMPOO HAT」の同名劇を映画化したもの。演劇版発表時から数年がたち、その間に起きた秋葉原通り魔事件をはじめ同種の事件をリサーチして取り込むことによって、より本作の洞察は深まった。

犯人ではなくその父親という、より複雑な立場の人間を描くことは監督としては挑戦であったろうが、昨日今日考え出したものではない自信と深みが感じられる。

基本的には附属池田小事件を元にしており、死刑囚となる息子のモデルは宅間守ということになるが、キャラクター的には全く異なる。暴力事件を何度も起こしていた宅間と違って映画では引きこもりの青年、といったふうに。だが、どちらもどす黒い感情を無関係な人々へぶつけてしまう。社会の鼻つまみもの、ドロップアウト組の逆恨みというやつだ。

だがこの映画が面白いのは、その根本原因に貧困をあげていない点である。なにしろこの映画のなかで唯一人間らしい幸福を彼らが味わっているのは、皆がもっとも貧しいときだからだ。そして、そこに父親はいない。このアパートのシーンは照明の大胆な変化でわかりやすく演出され、強いインパクトを与えている。

では、貧困よりも痛烈に人を追い詰めるものとは何なのか。

それはたとえば羞恥心であったり、疎外感であったり、居場所のなさだったりする。だが本作は、軽々にそれを断言するようなことをしない。最後までそうだから、見終わるとどこかモヤモヤしたものが残る。いったいなぜ理想を目指していたはずの、どこにでもある家族にモンスターが生まれてしまったのか、それは見るものの想像力にゆだねられる。

すべての人物がどこか病んでいるような重苦しさを感じさせるがこの映画、総じて役者が上手い。

なかでもすさまじいのは中華料理店で三浦友和演じる父親が店にクレームをつける場面である。メジャー俳優である三浦友和が、これほどまでに不快な演技を見せつける。彼のキャリア代表作になると監督は豪語するが、たしかにそうかもしれない。

死刑反対論者で死刑囚の次男と獄中結婚をする星野順子を演じるのは田中麗奈。こんな人間が一見まともにみえるのだから、本作の登場人物たちはみな狂っている。だがそう見える彼女こそ、よくみればもっとも罪深い一人である。

この女が絶望的にわかっていないのは、自分自身は死刑に反対することで人を救いたいなどといいながら、現実に手を差し伸べることのできる目の前の人間を救おうともせず、むしろそのことに気づいてもいない点である。

人間を殺した死刑囚ですら得られたものを自分が得られないことに気づいたからこそ、父親は絶望の縁へと落ちてゆく。だからこの女の罪は重い。

本当の家族を捨てた女と、理想の家族を作りたかったが失敗した男。この二つのキャラクターは物語上、密接な関係をもっている。本作を解釈するためには、最重要な関係と言ってもいいくらいだ。なんにせよ田中麗奈に注目、そのことをアドバイスしておく。

それにしてもこうした事件というものは、被害者にばかり目が向くものである。だが私たちは、加害者の家族の苦しみというものにも、いくらかは関心を向けて良いはずである。

その点も含め、ニュースを読むだけではまず気づかない視点に気づかせてくれる。「葛城事件」は、そんな価値ある映画である。

宅間守 精神鑑定書――精神医療と刑事司法のはざまで
社会はこうした犯罪をどう防げばいいのか。


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