「オートマタ」60点(100点満点中)
監督:ガベ・イバニェス 出演:アントニオ・バンデラス ディラン・マクダーモット

機械人形が目指す夢?

コンピュータが自らを改良することができたら、彼らはどこまで進化するのだろう。少なくとも人類のポテンシャルを、あっという間に越えてしまうことは間違いない。それは古くから技術者、SF作家たちが考え続けている魅力的な思考実験でもある。そして映画「オートマタ」は、そうした妄想が好きな人におすすめの、静かで世界観重視のSF映画である。

環境破壊と砂漠化が進んだ2044年。オートマタと呼ばれる人型汎用ロボットは、社会生活に欠かせない存在となっていた。厳密に管理、プログラムされたオートマタだが、ある場所で一体のロボットが予期せぬ挙動を見せ始めるのだった。

この作品に出てくる人型ロボットオートマタには、二つのプロトコルが実装されている。アシモフの昔からお馴染みの、ロボットに必須の制限ルールというやつだ。本作では一つ目が「生命体に危害を加えない」、二つ目が「自分で自分を修理改造しない」となっている。

この、とくに2つ目は、ようするに機械が自己改良をはじめたら人間の手にはおえない、いつT-800を生産し始めるかわからない、とてもじゃないがアンダーコントロールできないということだ。このあたりは、見ている側にも直感的に理解できる部分だろう。

そして物語は、まさにその第2プロトコルが破られるところから始まる。以降この映画は、足かせを失った超頭脳は、どこまで進化、変化してしまうのかという興味だけでぐいぐい観客を引っ張っていく。

脚の修理時間の話とか、AI試作機の話とか、見せ方にハッタリがききまくっているので、基本、地味な話だというのに結構なスリルを持続して楽しめる。

演出のみならず世界観の見た目もハッタリ満点で、たとえばビルくらいの巨大なホログラムでヤク中みたいな美女のダンスを繁華街でひっきりなしに流している。大変悪趣味で、いったい誰がなんのためにやっているのかと疑問に思う。ただこちらはあまり良い効果は生み出していない。広告効果なぞなさそうだし、ああいう意味不明なシュールなガジェットがでてくると、見ている側は萎えやすいので作り手は注意が必要だ。

主人公と交流をもつ性風俗嬢型のオートマタもなかなかふるっていて、題名通りのアナログな機械人形っぽさが根元的な不気味さ、決してわかり会えない壁を感じさせる。そんな「彼女」と交流を持たざるを得ない主人公という構図が思わせぶりである。

人は、自らのコントロールの外にあるものを信用することはできない。そんな当たり前の事実もこうした形でみせられると、なるほど種としての限界を感じさせるものだなと漠然と感じたりする。

そんな哲学的な思考を強いられるクライマックスのあとには、はたしてどんな結末が待っているのか。

わりとありがちな命題だし、胸を打つほどのテーマ性を感じさせるわけではないが、見始めると結論が知りたいので結局途中で止まれない。そんな憎めない一本である。

 
造形工作アイデアノート―オトナのための工作本
オートマタを作ってみよう。
▼『超映画批評』全文検索
Google
  Web movie.maeda-y.com   


連絡は前田有一(映画批評家)まで
©2003 by Yuichi Maeda. All rights reserved.