「進撃の巨人 ATTACK ON TITAN」40点(100点満点中)
監督:樋口真嗣 原作:諫山創 出演:三浦春馬 長谷川博己 水原希子
映像面の優位を活かせぬもどかしさ
「進撃の巨人 ATTACK ON TITAN」は、マンガをそのまま実写にするといろいろとリアルじゃなくなるから、そうならないよう時には大胆に変えていこう、とのコンセプトで作られたそうである。
なるほど、原作者自身も関わって脚本づくりなどを行った理由としては、それは大いに理解できる。そういうことなら大幅な改変もやむを得まい。
100年以上前、あらわれた巨人に人々は食われ、滅びかけたという。いまや、残った人類は高い3重の壁の中でひそかに暮らしている。それでも外の世界が気になる冒険心あふれるエレン(三浦春馬)を、優しいミカサ(水原希子)はいささかの心配を持って見守るのだった。そんなとき、衝撃とともに壁の向こうに何かが現れる。
本作の大きな問題は、そのようなコンセプトで作られたはずの実写版が、原作漫画より漫画チックになっている点である。
ほとんど唯一、石原さとみ演じるハンジだけはバカ度が突き抜けていて面白いが、それ以外のキャラクターやストーリー、演出には痛々しさが激しく感じられて見ていられない。漫画を実写化したらラノベになりました、ではいくらなんでも狙いと違うのではないか。
たとえばリーダーの石原さとみが出撃直前、「巨人たちは音に敏感だからしゃべるな、叫ぶくらいなら舌を噛め!」とブリーフィングしてくれるのだが、なぜエレンはじめ兵隊たちは進軍しながらペチャクチャと無駄話をし続けているのか。
もちろん訓練不足の寄せ集めという設定なのはわかる。だが1分前のおかあさんのいいつけレベルも守れないのはそれ以前の問題だろう。調査兵団は2歳の赤ちゃん以下か。
いつこのおバカさんたちの声を聴きつけて巨人がやってくるか、気が気でない観客をさらに驚愕させる出来事が起こる。
長谷川博己演じる無敵のシキシマ隊長が、なぜか平均台遊びをしながら戦いの極意をエレンに教える場面である。ここでシキシマ隊長は、涼しげな顔でりんごを食いながら、おまえのオキニは俺のセフレだよーん、と唐突かつ意味不明な自慢を始める。
展開が素っ頓狂すぎて、すでについていけない観客とは裏腹にエレンはブチギレ、まわりは巨人の巣だというのに全力で叫び出してしまう。うわあああ、僕の彼女がぁ!!
すわ巨人化かと思いきや、別の女に「そんな大声出して、あんた巨人をおびきよせるつもり?」などとたしなめられると一瞬ではっと我に返る。おいおい随分冷めやすい怒りですな。
……どこをどうみても、1ミリたりともあり得ないドラマ演出だが、ほかの連中も負けてはいない。
たとえば人類の行く末をかけた作戦中になぜかセックスをおっぱじめて、その隙を巨人に襲われるとか、何をどう考えたらそういうキチガイじみた筋書きになるのか、必然性も面白味もまったく感じられず、ただただ唖然とするほかない。
こういう事は細かいように見えるが、観客の共感を大きく阻害する。
かように空気を読めない演出とシナリオが積み重なると、だんだんイライラがつのってきて、頼むからこのバカ集団を早く食っちまってくれと巨人に肩入れしたくなる始末である。これはいくらなんでも「進撃の巨人」としてはまずいだろう。
しかも彼らバカたちを、作り手はバカとして描いているわけではないようなのである。先ほどのエレンにしても、部隊全体を危機にさらしたのだから、軍法会議的には死刑に値するチョンボである。なのにその件でクレームをつけた軍人少年を、エレンはケンカでのしてしまう。映画上では、あたかも軍人少年のほうが悪役扱い。ひどい話である。
本来、架空のお話にリアリティを出すには、現実にはあり得ない行動とかセリフ回しとか、そのあたりの地雷に敏感な、現実とフィクションの違いをかぎ分けるセンスが脚本家には必要である。しかし本作のそれは、こうした脳内自己完結方式の展開や、フィクションの中だけで生きる人が考えたようなセリフばかり。そうした違和感は、普通の観客でもなんとなく感じ取れるもので、それが痛々しさを感じたり、冷めてしまう原因となる。
作り手たちは、役者が日本人なのに外国名前なのはリアリティがない、などと思ってキャラ名を変えたりしたそうだが、そんなものは現実にはありえない立体機動装置と同じで、全く気にする部分ではない。それらは「お約束」として観客はすぐに受け入れてくれる種類のものである。この件だけでも、映画のリアリティというものを、彼らが誤解しているようで不安になる。
とはいえ……。
ここで書いた不満点はすべて高度な引っかけで、大どんでん返しが後篇「進撃の巨人 ATTACK ON TITAN エンド オブ ザ ワールド」(9月19日公開)に準備されている可能性は残っていると私は見る。
たとえば巨人の正体は、実はバカが極まった人類を淘汰しにきた正義の味方でしたとか、そういうオチだ。
だから私はこの映画を駄作とか、ダメ映画とはまだ呼ばない。すべては作り手の手のひらの上で転がされているピエロ。そんなふうに翻弄されたいというのが正直なところで、だから後篇には引き続き期待している。
なにしろ巨人の登場シーンは大迫力だし、スパイダーマンを彷彿とさせる立体機動の表現も頑張っている。人間を食らうシーンはあえて嘘っぽい絵づくりにして残酷度を抑えた配慮も好感が持てる。
ただ、そうしたルックスの良さが、演出、演技、シナリオに足を引っ張られてしまい、恐怖や驚きも半減してしまったというだけだ。
だから、本作にはまだまだ挽回の目はあると見る。頑張ってほしい。