「ルック・オブ・サイレンス」75点(100点満点中)
監督:ジョシュア・オッペンハイマー

二度と取れないこれっきりの続編

「アクト・オブ・キリング」(12年)という映画がある。これはとんでもないドキュメンタリー映画で1965年のインドネシアにおける虐殺事件の首謀者たち、すなわち本物の大量虐殺者たちに「再現ビデオを作るから本人役を演じてくれ」と頼みにいくアメリカ人映画監督の挑戦を描いている。

普通ならその映画監督自身が被害者数プラス1に貢献してしまうところだが、この殺人老人たちは自分たちを国家を救った英雄と思いこんでいるので、大喜びでにわか俳優を演じてしまう。

そんなシュールすぎる殺人者たちの姿を描いたあの傑作に、実は姉妹編が存在した。それがこの「ルック・オブ・サイレンス」である。

これは「アクト・オブ・キリング」のB面といった内容で、今度は被害者遺族のアディという青年が登場する。彼はジョシュア・オッペンハイマー監督に「兄を殺した連中にインタビューをするから撮ってくれ」と、キョーレツな企画を持ちかけてくる。

その結果、何がおきたか。

アディの素性を知らない例のノーテンキ殺人者たちは、英雄たる自分らを尊敬して話を聞きにきたに違いない若造に、大喜びで殺害時のディテールを語り始めるのである。

こうやってな、背後から股の間にナタをいれて、ペニスを切り刻んで殺してやったんだ。血がドバドバでて痛そうにしていたよ、わはは。

といった具合である。親切にも仲間たちと、ジェスチャーつきで実際の殺害現場で実演するので、よりこちらの想像力をかき立て、たいへん吐き気を催す。そんなとき、さらりとアディはいうのである。「そのときあなたが殺したのは、ぼくの兄です」

その瞬間にカメラがとらえた表情、いったいそのあと何が起こるか。それはこちらの予想を遙かにこえる。あんなものは、この映画をみない限り、人は永遠にみることはないだろう。

その意味で「ルック・オブ・サイレンス」は、いくらお金を積んでも得ることのできない経験を与えてくれる。まさにプライスレスな唯一無二の映画体験といえる。

ジョシュア・オッペンハイマー監督は74年生まれのテキサス人だが、当然ながら今はこんな映画は絶対に撮ることはできない。前作「アクト・オブ・キリング」がインドネシア全土で上映され、国の行く末をすらゆるがした今となっては、下手にこの地区に足を踏み入れたらプライスどころか自分の残りライフがゼロになってしまう。

ということで本作は「アクト・オブ・キリング」を発表する直前、つまり監督が殺人者たちに「俺らの映画を作ってくれた気のいいヤンキー」と誤解されていたその時期にすべての撮影を終えている。

地域の権力者である虐殺経験者たちの信頼を得ていたからこそ、こんなありえない企画を実現させることができたというわけだ。

むろん、危機管理に抜かりはない。取材者の携帯のメモリはあらかじめカラにし、身分証のたぐいは絶対に持たせず、インタビュアーのアディ以外は全員外国人スタッフで固め、尾行対策のダミーカーまで用意しての取材。

なにしろ本編を見ればわかるが一触即発、本物のひとごろしがブチギレ、カメラを止めろこのヤロウとすごむ場面でも、監督は止めるどころか相手の表情をクローズアップにし、ブレひとつ発生させない。この恐るべき胆力は、安全なところで見ている私たちでさえ驚愕する。こいつ、死ぬ気なのか?!

そんなさすがのジョシュア・オッペンハイマー監督も、インドネシアでこんなドキュメンタリーの撮影が今後絶対に不可能なことは認識している。

その意味で本作は、絶対に見逃せない。映画史に残る命知らずのドキュメンタリーだと、ここに記念として記しておきたい。



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