「オン・ザ・ハイウェイ その夜、86分」85点(100点満点中)
監督:スティーヴン・ナイト 出演::トム・ハーディ

エンタメ性抜群な哲学的映画

大ヒット中「マッドマックス 怒りのデス・ロード」でヒャッハーな暴走族に追いかけられるトラックを運転するトム・ハーディだが、続いて公開される主演作「オン・ザ・ハイウェイ その夜、86分」では、妊娠させてしまった不倫相手に呼び出され、ひたすら夜の高速道路を運転する役を演じている。つくづくドライブ運のない男である。

超高層ビルの現場監督として、重要な作業を明朝に控えるアイヴァン・ロック(トム・ハーディ)は、なぜか自宅と逆方向にハンドルを切り、ハイウェイに乗る。彼が向かうのは1年前に不倫した女の病院。彼女は彼の子を妊娠し、今まさに出産しようとしているのだった。

不倫相手が妊娠した、というのは身近ながらきわめて深刻なドラマである。ところが本作はすでにその女性が産気づき、今すぐ来て! というところから物語が始まる。映画は病院までのおよそ90分間のドライブを、リアルタイムで描く「動く密室劇」である。

舞台は運転するBMW一台のみ、画面に現れるのはトム・ハーディ一人。彼があちこちと車内電話では話す、ただそれだけの映画だ。相手役の俳優はどこかのホテルに待機し、リアルタイムでトム・ハーディと会話して撮影した。

映画好きならぴんとくるだろうが、こういうミニマムなスリラーは傑作率が高い。本作は「マダム・マロリーと魔法のスパイス」「イースタン・プロミス」など移民問題が得意な脚本家スティーヴン・ナイトのオリジナル脚本をみずから監督したもので、いつもの社会派な一面は見せず、きわめて哲学的な思考に誘う大人向けの一本となっている。

もちろん、エンターテイメント性も満点。なぜ妊娠したのか、なぜここまで放っておいたのかなど、次々と謎が登場して飽きさせない。さらに、明朝に控えた人生最大の仕事を、たまたま残っていたいち作業員に電話指示でやらせなくてはならないなど、スリリングなサブストーリーも同時進行する。スピーディーな上に無駄は全くない。見ていて時間が過ぎるのが早いタイプの映画である。

主人公の名前ロックは哲学者ジョン・ロックからとったと思われるが、じっさい映画のテーマもジョンロックの経験論的認識論をエキサイティングなスリラーにしたものである。

それは、簡単に言えば「自らの考えが正しいかどうかを、はたして確かめることなどできるのか」という問いかけである。

妊娠した、ではなく出産がはじまった、というタイミングを映画にしたのはこのためで、要するに主人公はすでに「選択」に迷う段階にはないということ。たいていの映画は「どっちを選ぶか」でスリルを生み出そうとするが、本作が新鮮なのはその先、「その選択は正しいのか否か」を考えようとしている点ということができる。

それは、時折挿入されるカーナビの画面で暗示していることでも明らか。高速道路なので画面には分かれ道はでてこない、ひたすら一本道だ。

それこそがまさしく主人公の境遇である。どこかの首相ではないが、彼には「この道しかない!」のである。

主人公アイヴァン・ロックはいまや窮地に立たされているが、すでに選択はすんでいる。この映画は、人間が責任をはたすという、その意味の重さをも描いている。

それはときに苦しいが、唯一の希望はこの道が正しいというみずからの信念である。揺らぎそうなその信念、自らの決断を、彼はときに自らはげまし、覚悟し、進んでゆく。まさに人生そのものである。

はたしてその道が正しいのかどうか、彼にわかる瞬間は訪れるのだろうか。

もしそれがこの映画の中にあるとしたら、きっと観客それぞれの人生の迷いにも、彼とともになにがしかの答えがでるに違いない。監督も、それを期待していることだろう。

映画の最後に息子が主人公に語る言葉。これがじつにいい。このあと永遠に失うかもしれない、かけがえのない宝物。その絶望感に打ちのめされながらも、息子の話には一縷の望み、希望が感じられる。

「間違いを犯した。だが、この進む道の先には……」強烈に胸を打つそんな主人公の言葉とともに、強い印象を残してゆく好編といえる。

何かに迷っている、悩みがある、そんな人にとっては、この映画はとくに重要な道しるべになるかもしれない。おすすめだ。

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ディズニー配給ながらなかなかの社会派。スティーヴン・ナイト脚本。


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