「サンドラの週末」65点(100点満点中)
監督:ジャン=ピエール・ダルデンヌ 出演:マリオン・コティヤール ファブリツィオ・ロンジョーネ

現実を語る寓話

カンヌのコンペに6作連続で出品を果たしている、名実ともに世界最高の監督の一人ダルデンヌ兄弟。ドラマから不自然さを廃したその演出力は、なるほどこの非現実的な寓話をリアルに見せるに十分だが、今回はいきすぎて完成度を損ねている部分も見受けられる。

精神的な病で休職していたサンドラ(マリオン・コティヤール)は復帰早々、社長からクビを言い渡される。その撤回にはこの土日のうちに、従業員の半数がボーナスを返上すること。厳しい経営状況の中、そうしないと人件費が足りないというのだ。サンドラは夫の手を借り同僚の自宅を回って説得を開始するが……。

まず観客が感じるのは、こんな無茶なパワハラ的前提条件がありうるのだろうか、との疑問だろう。

舞台がベルギーなのかフランスなのか、あえてひとめでわかるようには作っていない点も、この条件自体はたんなるスターターにすぎず、描きたいことはもっと奥にあるよということであろう。

その意味でこれは寓話、ファンタジーでありあまり深く考える必要はないのだが、それにしても観客は最後まで引っかかる。この監督があまりに自然にこんな条件を提示したせいである。

ここは早い段階で、経営者の資質不足でそういうコトをいわざるを得なくなったと、なにがしかの理由を描いておくと集中を阻害されることもなかったのだが。

おそらく監督は、この映画の中ではあえて悪人をひとりも入れたくなかったのだと思われる。それは映画のテーマを考えたら当然であるが、ここは無理する必要はなかった。これが、本作唯一の至らない点である。

もっとも、この設定自体は悪くない。理不尽な要求は全世界の労働者の多くが身に覚えのあることだし、その理不尽じたいに抵抗するための一助となるユニオンのたぐいも、中小企業では存在自体ありゃしない。そうした労働者には、理不尽それ自体と戦う選択肢は最初からないわけだ。これは大切な視点である。

監督は、ヒロインの人間ドラマをやりたいのではなく、こうした全世界的社会派ドラマをやりたかったのであろうことは間違いあるまい。

誰もが多かれ少なかれ、こうした無茶な要求をされ必死にあらがうが、それが報われることは少ない。そんな普遍的な悲哀のドラマ、構造的な問題にダルデンヌ兄弟は目を向けている。

サンドラ役のマリオン・コティヤールは少なくとも2013年頃は世界一きれいな顔だったそうだから、メイクして胸の谷間でも見せてまわれば男たちは全員味方になるだろうが、さすがはアカデミー賞女優。そこは先回りして、あえてノーメイクの髪ぼさぼさ状態でメンヘラボーダーラインをさまようあぶなっかしいヒロインを好演する。さすがの世界一も、こんな役作りでは美人度のカケラも感じさせない。こんなのが休日に訪ねてきたら、私でも追い返す。

それにしても本作を見て思うのは、労働の価値をいったい誰が判断できるのかというコトである。そんなの給与という形で経営者がするのが当然じゃないかと思っている人がいたら、それは大きな間違いである。

たとえば成果主義という考え方があり、ホワイトカラーエグゼンプションなどという名前でこの国の政府も進めようとしているが、それがいかにインチキな仕組みか、この映画を見るとよくわかる。

まず経営者は人件費を抑えたいのだから、公平に成果など判断できるわけがない。優秀なやつの給料をだめなやつの分から持ってきて上乗せしようくらいのことは考えるかもしれないが、それ以上に彼らは人件費の総額を抑える方向で配分を考えるだろう。減らした分がすべて有能な奴に分配されるなどありえないことだ。

この映画の中でも、会社がきついのはアジア勢、すなわち外国との競争が原因となっている。国内における争いなら、労働者は他社に移ればいい。だが新興国との戦いでは、国内のパイはしぼんでいくだけ。よそにうつる選択肢など最初からない。先ほどの経営者のように、人件費の総額が減っていく流れの中で、わずかな食い扶持を守るため後退戦を続けるしかない。

あえてこういう設定にしたことを見れば、この監督が言いたい事が私にはよくわかる。

つまり「それでは同じ労働者同士なら公平に判断できるのか」。

それがまさにこの映画が語るテーマである。

サンドラが体験するのは、減り続けるパイへむらがる弱きものたち同士の争いである。その地獄絵図の中で、それでも彼女はいくつかの美しい感情に遭遇する。それは、地獄の中だからこそ輝く崇高なる精神である。だから観客も強く心を動かされる。なぜ彼らはそんなことができるのか、と。ダルデンヌ兄弟は、そこを私たちに考えてほしいのである。

この感動的な人間ドラマの行く末ははたしてどうなるのか。監督の問題提起は、遠く離れた日本の観客に届くのか。一縷の望みを持って見守りたい。



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