「セッション」98点(100点満点中)
監督:デイミアン・チャゼル 出演:マイルズ・テラー J・K・シモンズ
怪物の覚醒
若い映画作家が実体験を元にした映画を作るのは正しい。17歳で脚本を書いた監督作がカンヌ正式出品を果たした天才グザヴィエ・ドランも「自分のわかることだけを撮る」といっている。若者は、無理な背伸びさえしなければそのエネルギーと勢いを空回りさせないで、すごいものを生み出す可能性を常に持っている。
名門音楽学校で、カリスマ教授フレッチャー(J・K・シモンズ)のバンドに参加することに成功したニーマン(マイルズ・テラー)。だが彼は、そこでフレッチャーの恐るべきサディスティックな指導に直面することになる。はたしてそのしごきの先には、ニーマンが望む成功への道があるのだろうか。それ以前に、この異様なスパルタ教育に彼はついていけるのだろうか。
85年生まれのデイミアン・チャゼル監督はまだ30歳だが、とんでもない傑作を叩き出したものだ。ドラマーを目指していた自らの体験をもとに、鬼教師とそれにくらいつく若者の異様な人間関係を、見たこともない緊張感と不穏さでまとめあげた。
映画通りの体験をしたはずはもちろんあるまいが、サディストという言葉ですら生ぬるい、異常者の域に達した鬼教師がかもしだす空気は、体験したものならではのリアリティということか。
そういう、理屈では説明できない迫力というものがこの映画には存在する。それは極端に言えば、最初の数秒から伝わってくる。「俺はどうやら、とんでもない映画の上映館に足を運んじまったみたいだぞ」と。
それは、宣伝コピーが自慢する「ラスト10分間の衝撃」までゆるむことはない。この結末がまた凄いもので、「巨人の星」的スポ根映画の枠に本作をはめようとする、あるいはすがるようにそう願うすべての観客を崖から平然とつき落とす。
予測はもちろんできないし、かといってそれを裏切られた驚きだけでもない。いったいこれはなんなんだと、呆然とさせられる幕切れである。
こいつは本当にすごい映画だ。だから私はあちこちのメディアで「今年のアカデミー作品賞候補でダントツなのは「セッション」だよ」といっている。超映画批評7年ぶりの満点を記録した「アメリカン・スナイパー」ですら、本作の迫力の前ではかすむ。出来映えだけなら「セッション」こそがナンバーワンである。
もっともこの映画で描かれている事柄は、決してリアルなものではないだろう。ここにあるのは努力だの才能だの、世間の生ぬるい論評をすべて超越した狂気である。超一流の人間は、これくらいであってほしいねと我々凡人が願うファンタジーだ。
だから普通の人たちにとって生き方の参考になる部分はないというか、真に受けたら心を病んでしまう恐れすらある。
逆に、この異常世界をみて万が一にもモチベーションがあがった若い人たちがいたなら、迷うことはない。あなたはトップの世界を目指すべきだ。普通よりは高い確率で、そこに近づくことができるだろう。
フレッチャー先生のやっていることは、いかな詭弁で飾ろうとも虐待にほかならない。殺人事件のひとつやふたつ起きても不思議ではない。そこまでいかずとも、こんなことを続けたら、ほとんどの教え子は精神をやんで終わりだ。
だが、それらのしかばねの上に一握りの天才が発掘・育成され、世に出るというのならば、確かに大金を払っても聞いてみたい。いや、アーティストというのならば、そのくらいであってほしい。
そんなすべての聴衆レベルの人たちを、「セッション」は大いに満足させてくれるだろう。そして、これをわずか28歳(撮影当時)で作ってしまうのだから、このファンタジー世界で描かれるような天才だって、たしかに現実にもいないわけではないのである。