「インターステラー」55点(100点満点中)
監督:クリストファー・ノーラン 出演:マシュー・マコノヒー アン・ハサウェイ

足るを知らない大国人

クリストファー・ノーラン監督はデビュー作「フォロウィング」(98年)以来、「メメント」(00年)から、超大作であるバットマン三部作に至るまで凝りに凝った──ひらたくいえば少々ややこしい作風を続けている映画監督である。製作費170億円クラスの「インターステラー」にしても、それは変わらないのだから凄いことだ。

未来の地球では、かつての肥沃なアメリカ大陸でさえ、食糧難と環境破壊で居住環境が著しく低下していた。そこで、宇宙に新天地を求めるミッションが計画され、元テストパイロットのクーパー(マシュー・マコノヒー)らが抜擢される。彼には幼い娘と息子がいたが、高速航行する宇宙時間よりはるかに早く流れる地球時間との差を考えると、子供たちが存命中に地球に戻れるかどうかはかなり微妙なところだった。

「インターステラー」は、理論物理学者キップ・ソーンを製作総指揮に迎え、彼の最新理論によるブラックホールほか宇宙の風景を楽しめる本格SF作品である。フィルム撮影などアナログ&ローテクを好むこの監督らしく、宇宙船や同行するナビゲーションロボットなど、普通ならCGで処理するようなものも、セットや小道具を製作して撮影。そのため、「2001年宇宙の旅」(68年)はじめ往年のSFの傑作をほうふつとさせるルックスの、どこか懐かしい不思議な最新作となっている。

個人的にはモノリス風の板っぽいロボットに興味をひかれた。見た目はまさにハリボテそのもの。あまり能率的とは思えないフォルムで乗組員たちとやりとりする様子は、まさに伝統的宇宙ドラマといった感じだが、いざピンチとなると急にCGになってトランスフォームし、想像を絶する速度で救助活動を開始する。お前、そんな機能があるなら最初から使えよと誰もが脳内で激しく突っ込みをいれるギャグシーンである(監督にそんなつもりはないだろうが)。

アナログな見た目と、こうしたどこか間抜けな演出によって、少々しまりがないところがあるが、基本的には知的興奮を巻き起こす、楽しい時間を過ごすことができる。

ただ一つ、日本人の多くにとっては、この作品が語るテーマは物足りないかもしれない。

まず本作のように、地球がダメっぽいから新天地を探す話は定番だが、本作ではダメになる原因としてどうやらダストボウルをあげている。これは30年代にグレートプレーンズで起きた砂嵐のことだが、こういうことが全世界的に起きていると、そういう設定になっている。もちろん、APECブルーで全世界の笑いをとった中国の黄砂やPM2.5といった最近の大気汚染問題も念頭に置いたアイデアであることは間違いない。

これらに共通するのは、天災ではなく人災ということだ。

つまりこの作品は、「人災でダメになりかけた地球の危機に対して、残された人類がとる行動」がテーマとなっている。

その行く末については、製作中からマル秘脚本だったことからわかるとおり絶対ネタバレ厳禁なのでここでは語れない。

ただ、普段はややこしいクリストファー・ノーラン映画ながら、本作で彼が伝えたいことは比較的はっきりしているので解釈に悩む心配はない。

この映画における「人類」がとる行動について私たちが感じるのは、アメリカにしろイギリスにしろ大国的発想とは相いれないな、ということだ。足るを知る者は富む、といったのは老子だが、彼らは今こそ、この言葉を思い知るべきである。

ノーラン監督はきっと無敵感に満ちたポジティブな人物なのだろうと、これを見ると強く思う。永遠の成長を信じて疑わぬその前向きな発想には敬意を払うが、そうした欧米的価値観はもはや時代遅れだ。人類文明の発展速度は飛行機の発明以来、誰が見ても停滞している。永遠の成長などはない。足りなくなったら、食う量を減らせと思うのが我々日本人の発想である。そもそもまともな人は、そこまで贅沢などしたくはない。

この映画は大変なお金をかけてつくられた超大作だが、絵的に、という意味ではなく内容的にテレビのモニターで見るとチープに感じる可能性がある。だから、どうしても見たい方は映画館で見たほうがいい。

そんなわけで、激しくかけ離れた価値観にちょいと白けさせられるクリストファー・ノーラン最新作であった。



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