「神さまの言うとおり」45点(100点満点中)
監督:三池崇史 出演:福士蒼汰 山崎紘菜

不要な原作改変部分が多い

「土竜(モグラ)の唄 潜入捜査官 REIJI」(2014)、「クローズZERO」(2007)などコミック作品の映画化には定評ある三池崇史監督だが、「神さまの言うとおり」では珍しくその腕が鈍った印象である。

高畑瞬(福士蒼汰)が通う高校のクラスで授業中、突然教師の頭が爆発した。その亡骸から登場した謎のダルマは、その場でいきなり「ダルマさん転んだ」を開始。わずかでも動いた生徒たちも次々と爆裂死する。瞬の退屈な日常はその瞬間に終わると同時に、命がけのサバイバルゲームが始まるのだった。

映画版「神さまの言うとおり」には原作からの重要な変更箇所がある。それはいわゆる「小便小僧編」以降の展開で、ここから先は映画オリジナル。結末に至るまでの後半もまるっきり異なる。

これほど改変するならば、なにがしかの必然性がないといけない。だが問題は、そういうものが感じられず、全体の完成度から見てマイナスにしかなっていない点である。おそらく、マンガ版の第一部は未完であり、結末をどうにかしないと映画的に締まらないというのが理由だろうが、結果的には失敗だった。

原作の売りである残虐描写もかなり控えめ。ただし、クラスメイトがふっとびまくるダルマさん編で、血液とともに赤いビー玉が大量に吹き出る映画オリジナルの演出は、床面がすべりやすくなることでクリアが困難になる効果を生んでいてよかった。

だがそれ以外は単に刺激がソフトになっただけ。ひどいのは重要な人物が死ぬシーンだけ、きらきらとお星様になるファンタジック演出になっていたりする点。制作側の都合で、綺麗な死に方だったり無様な死に方になるのは大いにしらける。これではこの作品世界ならではの厳しさ、唐突な死の恐怖が伝わらない。

原作の魅力のひとつは、重要だと思っていた人物が唐突に、あるいは生き残ったと思った瞬間にあっさり砕け散るショック、である。映画はこの、最大の魅力である唐突感を失っており、フラグを立てまくりなので次にどうなるか、未読者でもたやすく予想できてしまう。これではいけない。

とくにアイスバーのくだりは、やっつけにもほどがあるひどい脚本である。あんなものをクライマックスにしようなどと考えた人は猛省すべきである。あれでは次の展開はこうなりますよと、スクリーン画面にでっかく書いてあるようなものだ。

見たところ、続編に色気がある感じだが、それならもっと意外性、唐突性、容赦のなさで観客を振り回さないとだめだ。この程度ではあまりにも生ぬるい。

また、大森南朋をひきこもり男の役にするのも無理がある。演技派で、どこかで使いたい気持ちは分かるが、これは観客をバカにしたキャスティングというほかない。

原作に、なぜあんなキャラクターが登場するのか。考えてみたことはあるのだろうか。

あれは、全国の(リア充含む)真面目な生徒たちが虐殺される中、道をはずれたひきこもり少年だけが難を逃れるという、既存の価値観をひっくりかえす構造がポイントなのである。そこに読者はある種のカタルシスを覚え、共感する。そういう物語の基本構造がこのキャスティングをした人にはまったくわかっていない。

物語構造上における、あのキャラクターの重要性を理解していないから、映画版ではこの人物一人だけ過去を描いておらず、だから特効服を着る、本来痛快きわまりない展開が、未読者にははぁ? としか思えない形になっている。こういう説明不足の唐突さはいらない。

招き猫編の改変部分である、首バネ攻撃もいけない。あれは、単純攻撃を繰り返している点に気づいた主人公の狡猾さを伝える前段階があって、それでも簡単には勝てない流れから、敵の恐ろしさを増幅させる演出に(原作では)なっている。映画はその辺、ばっさりカットである。

そのくせ白熊とかマトリョーシカ缶けりとか、思いつきレベルの新ネタを取り入れる。そんなものは誰も喜びはしないし、評価もしない。

名手三池監督にしては、意外なほどに読者、観客との距離間を見誤った印象で、最近ではめずらしい失敗作。

多忙で作品を掘り下げる暇がないのかもしれないが、続編がもしあるならば、いつも通りの実力を発揮して原作読者を驚かせてほしいと切に願う。

神さまの言うとおり(1) (講談社コミックス)
絵柄が普通の学園ドラマながら、突然ヒロインぽい女の子の頭が吹っ飛んだりします。最近こういうの多いね。


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