「誰よりも狙われた男」60点(100点満点中)
監督:アントン・コルベイン 出演:フィリップ・シーモア・ホフマン レイチェル・マクアダムス

9.11後の諜報戦を描く

イスラム国、シリア、イラン、アフガニスタン……アメリカはいったい誰と戦っているのか。全員か、それとも誰とも戦っていないのか。多極化を絵にかいたような国際情勢の全貌が見えてくるのはいつになるのか。

ドイツのハンブルグで、チェチェン人青年(グリゴリー・ドブリギン)の密入国が当局にキャッチされる。イスラムのテロリストと疑う彼らは即座に逮捕しようとするが、テロ対策チームのリーダー、ギュンター・バッハマン(フィリップ・シーモア・ホフマン)は彼を泳がせ、さらなる大物との関係を探るべきだと主張する。

元Mi6の原作者ジョン・ル・カレによる同名小説の映画化。映画では9.11事件によって大きく様変わりした諜報戦の現場を、リアリティたっぷりにみせる。フィクション作品ながら、他とは一線を画するディテールの丁寧な描写が見所のスパイドラマだ。

舞台をハンブルグに設定した点がまずは新鮮。ハンブルグといえば9.11実行犯の潜伏先だが、テロの兆候に気づくことができなかったトラウマが、かの国における諜報活動のポリシーを変えてしまったことが、これを見るとよくわかる。

さらなる大物をつり上げるためターゲットを泳がせたい主人公と、万が一にもテロを実行されたら困るドイツ当局。その間に、もはや世界のどこにでも顔を出す米CIAが意外な立ち位置からチャチャを入れてくる。

こうした権力闘争、主導権争いという名の台風の中、その目にポジションを取って立ち回る主人公の老練な手腕が大きな見所。演じるのは先日急逝したフィリップ・シーモア・ホフマン。無駄な殺生をさけたいとの考え方を持つ主人公だが、ホフマン最後の主演作品ということもあって、観客の多くが彼に共感することになる。

ところがこの映画は、そんなものは甘っちょろい民間人の浅知恵だよといわんばかりに全く異なった発想の人間たちを登場させる。その圧倒的なリアリズムにショックを受けるか、教訓を得るかはあなた次第。

そして、良くも悪くもこれが9.11後の現実。いや、現実がこの物語が予測した方向に進んでいるというべきなのか。いずれにせよ、数々のスパイ映画はもちろん、私たちの考える安全保障の発想じたいがもう時代遅れになりつつあることを、この映画は冷酷に突きつけてくる。

派手なアクションこそ無いが、こうしたことに興味がある人は見て損のない、タイムリーな作品といえるだろう。



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