「フランシス・ハ」65点(100点満点中)
監督:ノア・バームバック 出演:グレタ・ガーウィグ ミッキー・サムナー
女の子が受ける現実という名の洗礼
女の子が「若さ」の持つブースター効果の大きさと、それを失いつつあることに気付く瞬間は、はたからみるとドラマの題材としては魅力がある。それを悲劇と描くか喜劇とするかは料理人しだいだが。
ニューヨークのブルックリンでダンサーを目指す27歳のフランシス(グレタ・ガーウィグ)。どこかタイミングのずれた彼をあっさりフり、今は親友のソフィーとルームシェアで楽しく暮らしているが、ソフィーがアパートの部屋を更新せず同居を解消すると言い出し彼女は狼狽する。仕事に住居、恋愛……望むものは手に入るどころか、あちらか拒絶される。27歳ってもう若くはないのかしらと、彼女は初めて焦り始める。
ノア・バームバック監督は「イカとクジラ」(2005)で繊細な人間ドラマを描く力があることを証明したし、グレタ・ガーウィグ自身が脚本にも参加しているので、同年代の女性の共感を集めるに十分な、誰もに身近なドラマに仕上がっている。
なによりグレタ・ガーウィグ演じる主人公が、弱いけれど前向きで、かつなかなかの鈍感力をもっているので温かい目で見守りたくなる。非常にリアルで、こういう女性はあちこちにいるだろうと思う。
おそらくだが、似たような境遇の女性たちは彼女を見てどことなく元気づけられるのではないか。前向きに、明日も頑張るためには役に立つ映画、と言えなくもない。
ただ個人的には、そこいらへんが甘いというか、ちょいとファンタジー入ってるよなあと感じる。
フランシスはバカな子で、バカな子は純粋だから魅力がある。だがそういう子が簡単に幸せをつかめるほどこの世の中は甘くない。フランシスは美人だが、遊んできた美人ほどまっとうな男性からは敬遠される。美人側も中途半端にいろいろ経験してしまうと、もはやまっとうな男では満足できない。許容範囲という名の選択肢が狭まっていることに気付いた時はもう手遅れ、である。
フランシスはある意味不感症であり、「妊娠なんて遠い世界だなぁ」なんて言っているが、どう考えても27歳の女の言うセリフではない。
そもそも彼女は最初から判断を間違えているのだが、最後までそれをだれも指摘しないし、気付くこともない。見ていていたたまれなくなってくるし、とってもつらい。監督は彼女に「ちょっとしたご褒美」をプレゼントしたというが、現実はそんなに甘くないよね、と思ってしまう。あのままではフランシスは、きっと幸せにはなれないだろう、と。そんな風に思わせるほど、この映画の主題は説得力が薄い。
それにしても、若い女が恋愛以外に幸せを見つける物語というのは難しい。これだけの技量を持った映画作家がやってもこれほど説得力が薄いのだから、最難関といえる。
頑張っていろいろこちらに提案してみたところで、貧乏女の人生のハードモードさは絶望的レベル。フランシスの場合、爛漫な性格な上にプライドを守る気概もないほど弱いので、こちらとしては本当に気の毒というか、何とかしてやりたいと思うのだが、あまりにも周りに恵まれていないし、その対応もひどすぎる。ホームパーティーの場面での必死の訴えは泣かせるが、この町とキミじゃたぶん無理だよと、こちらは内心また憂鬱になる。
結局、作り手の思想とは裏腹に、女の幸せってのは一つしかないのかよとガックリ来るのである。このせちがらい時代、女は自己実現などと言っている場合ではない。そんなのは婆さんになってからやればよく、若い者には若いなりのすることがある。そういうことを伝える耳に痛い映画のほうが、よほど現代的だろうと私は考え続けている。