「思い出のマーニー」65点(100点満点中)
監督:米林宏昌 声の出演:高月彩良 有村架純

連続テレビアニメ枠でやるべきだったか

若者の総底辺化により女性の晩婚化、行き遅れ化が顕在化してきている。だからこそ「でも、いつだって頑張ってるアタシ」──を肯定する話が大受けすることは、「アナと雪の女王」の超絶ヒットをみれば誰にでもわかる。

しかし、そのヒットをみる前に似たテーマの原作「思い出のマーニー」をアニメ化しようと考えたスタジオジブリ(鈴木敏夫プロデューサー)の目はさすがといわざるを得ない。

中学1年生の杏奈(声:高月彩良)は喘息の療養のため、この夏を親類の住む北海道の海辺の家で過ごすことになった。彼女はやがて入江で無人だがどこか懐かしい洋館を発見する。その日から、夢にまで登場するその屋敷だが、ある晩杏奈がその場に出かけてみると、夢で見た金髪の少女マーニー(声:有村架純)が実際に現れるのだった。

宮崎監督の引退を受け、「思い出のマーニー」はジブリ史上初めて重鎮・宮崎駿&高畑勲が関与せず作られた初の長編アニメとして誕生した。同時に本作は、宮崎監督引退後のジブリの全力を投入した、いわば社運をかけた勝負作として位置づけられる重要な一本である。

ジブリ作品は誰がなにをいおうと大ヒットするので遠慮なくいうが(などといいつつ毎回遠慮がないという声もあるが)いまいちぱっとしない出来映えである。

まずこの原作はアンナの成長がメインテーマであり感動と共感の肝となるわけだが、映画版は圧倒的に時間が足りない。これがディズニーアニメならレリゴーを歌ってマヒャドを溶かしてはい大団円、と芸術的なまでの様式美でまとめてしまう力技があるので上映時間90分もあれば余裕だが、ジブリにはそうした必勝の方程式がない。

結果、杏奈は上映時間の都合でほとんど強制的に、準備されたエンディングを迎えるところまで猛スピードで「成長」することになる。時間がきましたよ、さぁ成長してネ。ハイまた時間だからもう一段成長ね、といった具合で、不自然なことこの上ない。

これは、哀れな現代女性=「報われないアタシ」たちの共感先である杏奈の抱える孤独、心の闇を序盤で描き切れていないことが原因。

はがきの文面の変化とか、食事シーンのそれとか、あの手この手で彼女の変化を描いているが、いまいち効果を上げていないのはそれが理由だ。この映画のメイン客層たるイマドキ女子の抱える絶望的なまでの孤独、それと同等の業を杏奈が背負っていることを何か印象的なエピソードでも織り交ぜてアピールする必要があった。

とはいえ、これは相当工夫をしない限り、映画の時間軸では足りない。

宮崎監督だったら何とかしたであろうと思うが、アニメとしての動きの面白さを堪能しにくい点も物足りない。アニメーションの醍醐味は動く絵なわけだが、この作品は静的で絵本のようだ。むろん、それはそれで一つの方向だし大人としてはそれでもいいが、これまでこのアニメスタジオはそうした部分に力を入れてきたように思うので、今回子供たちがどこまでこの路線について来られるか、そこは興味深いところである。

もっとも米林宏昌監督はこうした困難を最初から見抜いており、「アニメにするのは難しい原作」とのコメントを残している。その判断力は確かであるし、この難しい題材をよくぞここまで仕上げたとは思う。作画の品質、いいスタッフを揃えたので背景の美しさ、内装などはジブリ史上最高レベルであり文句なし。動きの面白さが期待できない点、女の子ならではの悩みを描いている点から、今回は完全に女児向きといえる。

それにしても、ジブリ作品にはもともと原作ものが多いとはいえ、今回はアニメが原作への誘い役にとどまっているのは残念な限り。米林監督の力をもってしてもここが限界なのだから、ようするに、コンセプトは正解だが原作選びが誤っていたということだ。ビジネス的に、という意味ではなく。

いっそ原作選びを行う重鎮プロデューサーからも完全に解放され、まったく新しい、誰もみたことのないアニメ作りに挑戦する、チャレンジングでフレッシュなジブリ作品を見てみたいものだ。それが、日本最高峰のアニメスタジオとしてのスタジオジブリの役目であろうと私は考えている。

挑戦し続ける王者には誰も追いつけないが、ひとたび守りに入ればあとは没落の日を待つだけだ。



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