「いのちのコール 〜ミセス インガを知っていますか〜」75点(100点満点中)
監督:蛯原やすゆき 企画:渡邉眞弓 脚本: 南木顕生 出演:安田美沙子 室井滋
タイトルとコンセプトがよくないが、中身は絶品
長くレギュラー出演をしていてもいまだに生放送は緊張する。とくにラジオのそれは映像がない分、よりシビアである。テレビならごまかせても、ラジオで数秒間会話が途切れたらそれは即、放送事故となる。ラジオ番組を作るもの、出演するもの全員が心に秘めた、絶対に守らねばならぬ最後の防衛線だ。
DJ・マユミ(室井滋)は、20年以上続いた自身の長寿番組の最終回、その大事な生収録中に一本の非通知電話を受ける。会話の様子のおかしさから、相手の若い女が自殺を決意していると見抜いたマユミは、プロデューサーの制止を振り切り放送中、必死に彼女を説得する。だが彼女は考えを変えようとせず、いまにも電話を切ろうとするのだった。
ラジオ番組作りにかかわる一人としては、まったくもって胃が縮み上がるような展開である。なにしろときは最終回、プロデューサーは聴取率より何より、つつがなく番組を終わらせたい。一方、現場のスタッフとDJは、そんなすべてのしがらみよりも、目の前のリスナー一人を救いたい。
どちらも正義であり、プロフェッショナルである。そんな彼らが多少の対立を経ながらも、一丸となって、ひとつの命を救うため死力を尽くす展開が泣かせる。
電話の女が子宮頸がんの苦しみで死のうとしていると推理した彼らは即座に番組構成を変更、各方面から病気の知識と専門家を収集する。情報集めのプロたちのものすごい手際の良さと無駄のない動きに、多くの観客が興奮するだろう。
やがて病気の経験者や、克服者たるリスナーから熱く的確なメッセージも殺到する。リスナーと作り手の距離が近いラジオならではの魅力と、スリラーとしての展開が見事に合致した、素晴らしい脚本といえる。
やがて、電話の女が名乗ったラジオネームから、その正体を妻のたまき(安田美沙子)だと気付いた夫も動き出し、すべては予測困難なクライマックスへとなだれ込む。
室井滋の人間味あふれれる語り口は、これなら20年続く長寿番組になるだろうと思わせる抜群の説得力。深刻なテーマを昼の番組向けにフィルタリングするユーモアとぶっきらぼうな優しさは、並大抵の演技ではないと驚かされる。あたしも若いころは美人アナで……のくだりなど、笑いの間の取り方も完璧である。
それらを踏まえて、本作唯一の問題は、これを子宮頸がん予防の啓蒙映画というコンセプトにしてしまった点である。
にんげん、啓蒙などといわれると引くのである。まして映画は入場料を払って見に行くものだ。お金を払って啓蒙されたいなどと考える人がいるかどうか、作り手たちはもっとシビアに考えてほしい。
子宮頸がんという病気の原因を考えると、患者たちがある種の偏見に苦しんでいることはよくわかる。劇中でも描かれる、手術後の後遺症がいかに若い女性の精神をむしばむかも、非常に具体的でよく伝わってくる。だれだってこれを見れば、この病気がどういう風に女性を苦しめるか、すぐにわかる。
だからこそ、これは子宮頸がん予防の啓蒙を狙ってうんぬん、なんて語りは余計なのである。そんなものは映画を見ればだれでも実感できることだ。
具体的には、最初と最後のテロップの内容には大いに考慮の余地がある。また宣伝に含まれていることだが、原作手記を書き、映画のディテール構築に多大な貢献をしたあるスタッフのその後についても、映画を見る前に聞かせる話ではないと思う。それこそ最後のテロップにさらりと書いておけば、感動が倍増し、よりこの病気について興味を深める効果をあげられるだろう。
危機感が薄く感じられる夫の行動などクライマックスに多少の難はあれど、これほどの脚本、役者を揃えているのだから、若い蛯原やすゆき監督以下、スタッフはもっと自信を持つべきだ。「ラジオの生放送中に自殺志願者から電話がかかってくる」それだけで十分に人の興味は引ける。そちらを押し出していくべきだ。
観客には、まず面白い物語ありき、である。一流のスリラーを期待させ、それ以上の満足感を与える。だが、じっさい見終わると子宮頸がんという病気とそれが巻き起こす諸問題について、何か行動したくなってくる。
これこそが理想である。映画で何かを伝えたいなら、その順番を間違えないことだ。
最後に一つ、映画の完成度を高めるため、美人の安田美沙子をキャスティングしたのは大正解。彼女が美しいからこそ諸々の副作用や精神的な苦しみが、より残酷に感じられる効果を上げられる。
だがさらにそれを高めたいなら、序盤で幸せそうな濡れ場・ラブシーンを、何も隠さず安田に熱烈に演じさせておく必要があった。そうしておかないと、彼女が突発的に飛び降りようとするあのベッドでのシーンに説得力が生じないからである。それさえやっておけば、本作は彼女の代表作となり、彼女も一流の女優の仲間入りができたに違いない。
なお、これは彼女のためを思って書いていることで、決して元ミスマガジンの裸が見たいとか、そういうよこしまな思いからではないことを最後に付け加えておく。