「とらわれて夏」85点(100点満点中)
監督:ジェイソン・ライトマン 出演:ケイト・ウィンスレット ジョシュ・ブローリン
邦題はイマイチも中身は傑作
失敗に悩む人に私がいつも言うのは、超一流の打者だって7割近くは失敗なんだから気にせず堂々と失敗してやれということだ。一般人なら一割五分で十分、満足いく仕事が二割もできたら御の字である。まして三割いけばトップクラス。4割できたらもう神技だ。
1987年の夏。アメリカ東部の田舎町でシングルマザーのアデル(ケイト・ウィンスレット)は息子ヘンリー(ガトリン・グリフィス)とつつましく暮らしている。夫に去られてから精神を病み外出もままならぬアデルを、13歳ながら支えようとするヘンリーは月に一度の買い物に今日も母を連れ出してやった。ところが二人はそのショッピングセンターで出会った脱獄囚のフランク(ジョシュ・ブローリン)に無理やり自宅へ押しかけられ、そのまま軟禁されてしまう。
この映画のジェイソン・ライトマン監督はまだ若い(77年生まれ)が、個人的には恐るべき打率の高さで注目している才能である。なにしろデビュー作「サンキュー・スモーキング」(2006)から「JUNO/ジュノ」(2007)、「マイレージ、マイライフ」(2009)、「ヤング≒アダルト」(2011)と目下のところ傑作率10割。そしてこの最新作も期待にそぐわぬ素晴らしい人間ドラマである。
まさに常勝無敗、入場料を損しない、すきやばし次郎が裸足で逃げ出すコスパ世界最強の映画監督である。
内容は「パーフェクト ワールド」(93年、クリント・イーストウッド監督)をほうふつとさせる脱獄犯との交流ものだが、この手の作品は人間が描けているかどうかが再重要。リアリティのないキャラクターでは共感を集められず、ありえないストーリーに興ざめするのが関の山である。
その点、この監督なら心配はない。本作では父性が決定的に欠落していた母子家庭と、家族愛を失っていた脱獄半が、運命的な出会いを果たす。その奇跡のような補完関係が観客に心地よい共感を与え続け、非の打ち所のない結末までこの上ない高揚感を与えてくれる。
とくに見事だなと思うのは、13歳の少年を大人の男女二人の間に配置した点。大人二人の色恋含めた関係に、思春期の少年がかかわっていくストーリーなんて、考えるだけでもやっかいだがこの監督はさらりと脚本を書いてしまう。
しかも、彼が思春期真っ最中であることを、作品にある種のスリルを与える形で利用している。とくに、もしヘンリー少年がいなかったら、あの結末では物語的に完成度が下がる仕組みになっている。大した脚本である。
演出も抑制が利いていながら細部まで目配りされている。たとえばヘンリーにフランクが工具の名前を教える場面。ヘンリーは13歳なのに、そんなこともしらないのかと観客は驚くが、それこそがこの一家における父性の不在を痛烈に印象づけてくる。と同時に、フランクがいかにこの家庭に必要な存在かも感じさせる。こうした細かい積み重ねで、脱獄犯がすぐに二人と打ち解ける展開に、説得力を与えている。
じつは私はこの映画を、公開されたらもう一度みたいと思っている。あの優しい人間たちの思いやりあふれる交流を、再び体験したいのである。年に何百本映画を見ても、そういう作品はあまりない。
ラブシーンがあるので親子での鑑賞は恥ずかしいだろうと思うが、劇中のヘンリーくらいの歳の男の子には是非見てほしいと思う。大人たちが意外と弱いということ、親たちは、いったいなにを一番幸福に思うものなのか。そういうことをこうした優れた映画作品で知るのは、とてもいいことである。