「アメイジング・スパイダーマン2」80点(100点満点中)
監督:マーク・ウェブ 出演:アンドリュー・ガーフィールド エマ・ストーン

シリーズ2作目としては相当な完成度

マーベルの看板ヒーロースパイダーマンは、大人の事情でマーベルヒーロー総登場の「アベンジャーズ」には出演できない。しかしこの映画版(リブート版)は、かのオールスター映画に引けを取らない完成度の高さを誇る。

今日もニューヨークの平和を守るスパイダーマンことピーター(アンドリュー・ガーフィールド )は、「娘を巻き込むな」との父親の願いが常に頭から離れなかったが、それ以上に愛するグウェン(エマ・ストーン)と離れられずにいた。そんな折、親友のハリー(デイン・デハーン)がオズコープ社に戻ったことを契機に、自分を捨てた実父との別れの真相に迫ることになる。

大人たちが報われぬ愛を注ぎ支え続けることで子供は自分探しの旅を終える。そんな感動的なメッセージを発していた1作目と同じく、擬似的父子関係がいくつも描かれるこの2作目。そこからは、大人(特に父親)との決別、とのテーマが浮かび上がる。

親は常に愛情とともに自分のエゴというべき願いも子供に伝えるが、子供がそれを実行するとは限らない。それは前作のラスト、恋人グウェンの父親との関係に象徴されるが、本作ではその結果起きることが若きピーターを悩ませる。

前作の記事でも書いた父親的存在を、この2作目でピーターはときにあっさり捨て去る。グウェンの父親の遺言しかり、ニューヨーク市民との関係しかり。親のいうことなんぞ知らねえよ、俺は俺の好きにやるというわけだが、その結果たとえ悲劇に巻き込まれる展開になったとしても、決してその決断を否定していないのがこの映画の素晴らしいところだ。

親は子供にいろいろと遺す。正の遺産も負の遺産も。たとえばこの映画では、ハリーの父親はハリーに莫大な遺産とともにマイナスのそれをも残した。ピーターの実父もそうだ。この作品で、スパイダーマンの能力およびなぜ巨大な敵と戦っているのか、その根本原因が明らかになるが、それがまさに「正の遺産、負の遺産」というやつである。

ここをしっかり描いている点がサム・ライミ版とこのリブート版の最大の違いであるから、マーク・ウェブ監督と本シリーズが一番言いたいこともここにあるということだ。

さて、子供たちを悩ませるそうした親の残滓物と、ピーターはどうつきあっていけばいいのか。それは映画の最後に彼の母親的存在メイが教えてくれる。そこまで、親子ってのは面倒なものだなと不快になりかけていた観客の心は、ここで一気に晴れやかになる。

その後の、「代わり」との一連のシークエンスは、スパイダーマン映画史上最大の感動的かつヒロイックなもの。スパイダーマンことピーター・パーカーはここでは「子供」から父親的存在へと成長している。

親世代はこの映画を見て、「子供にはいいものを残してやりたいものだな」と感じ入るだろうし、思春期の子供たちは一番厄介な親との関係の、理想的対処法を見ることになる。単なるアメコミアクション映画なのに、なんとも深い深い脚本。親子愛賛歌のドラマとしては、最高傑作といってもいい。

スパイダーマンがニューヨークのビル街を飛び回る姿はストップモーションを多用&デジタル3Dによってサム・ライミ版とは一味違った迫力を味わえる。あれほど完璧だったサム・ライミ版のそれと異なる味付けかつ同レベルのアクションを開発するとは、マーク・ウェブ監督恐るべしである。

冗談をいいながら圧倒的強さで悪を成敗する本作のスパイダーマンは原作のイメージにも近く、かつ最高にヒロイック。中盤に少々ダラけるリズムの悪さはあるが、シリーズ3作目(もしかすると完結編?)への期待が高まると同時に、はたしてこれ以上のものができるのかと心配にさえなる佳作である。



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