「アクト・オブ・キリング」90点(100点満点中)
監督:ジョシュア・オッペンハイマー
全部ガチならとんでもない映画
園子温監督の映画に「地獄でなぜ悪い」(13年)というのがある。本物のやくざの抗争と殺し合いを、映画の見せ場として撮影する映画オタクの話だ。もちろんフィクションのコメディー映画だが、斬新な作風が好評を得た。
ところが世の中は広い。アメリカには、なんとそれを地で行く映画監督がいた。
1965年、9月30日事件と呼ばれる大虐殺がインドネシアで起きた。ときのスカルノ政権に対するクーデター未遂のどさくさの中、大勢の共産主義者らが殺されたこの事件。その実行犯を取材したジョシュア・オッペンハイマー監督は、自分たちを革命の英雄と思い込んでいる彼らに対し、それなら自らのしたことを再現し、映画に記録してはどうかと提案する。
再現映画とはいえ、本物の殺人者を集めて本人を演じさせるとは、怖いもの知らずな監督である。だがみてみると、連中ときたら大喜びで「遠慮なく撮ってくれよ」とはしゃいでいる。まるで、初めてテレビ取材がきて調子にのってる下町の商店街のオヤジそのものである。
クールなハーバード出のオッペンハイマー監督は、そのまま彼らをのせまくり撮影を開始。なにしろ彼らは華僑や共産主義者を何十万人もぶちころした殺しのベテランである。首きり道具の実演シーンなど、こいつはその気になれば本当にこのワイヤーを引くだろうということが、カメラのこちら側にもひしひしと伝わってくる。その恐ろしさは、なかなか味わえるものではない。
その本物感はあまりにリアルすぎて、やがて恐怖を通り過ぎて笑いに変わる。
たとえば撮影のラッシュをみて主演(?)の老人が、「もっと残虐にやらないとだめだな」とか「パンツの色が良くないな」などと、どこの大物監督だよといいたくなるような態度でだめ出しをする。
おまけにロケ地についてまで「拷問シーンにいい場所を知ってるぞ」などと口を出す始末。オマエそれ、ロケ地じゃなくて本物だろとツッコミたくなる一瞬である。
男たちがノリノリで殺害シーンを撮っている横で、彼らの妻子がどんな反応を見せるかも見所。集団催眠的な男たちの様子との対比を目の当たりにすると、歴史上何度もおきた大虐殺というものが、どういう心理学的メカニズムでおきるのか、わかる気がする。
これは関連書籍をいくら読んでもイメージしにくい、映画ならではの迫力である。それも、単なるインタビュー形式ではまず無理な、こういう特殊な形で関係者の心の奥深くの記憶を引き出したからこその快挙である。この点において、本作の功績は他に類をみない。
ラストの予想外の展開も、これだけの映画にふさわしいショッキングなもの。ドキュメンタリーとしては、早くも年間ベストクラスがでてきたなと言う印象である。
教育レベルの低い人間たちを、賢い猛獣使いがうまくコントロールして秘密を暴いたような映画ではあるが、はたしてどこまでが真実なのか。殺人者たちの語る言葉や芝居がかった行動に、それほどの信憑性があるとは思えない。だが、ふとした一瞬の表情の中には、確実にその一端が含まれているに違いない。