「ジョバンニの島」85点(100点満点中)
監督:西久保瑞穂 声の出演:市村正親 仲間由紀恵

泣ける度、トラウマ度ともに高し

戦争を扱った映画には大きく2タイプある。戦争を外交政策のひとつとしてマクロに見つめる、すなわち政治映画としてのそれ。もう一つは、そこに巻き込まれる生活者を描くミクロの視点。後者の場合は戦争イコール天災のごとく描かれることが多く、開戦理由だとかその必然性を描くことは重視されない。

1945年の色丹島。父、祖父とくらす10歳と7歳の兄弟、純平(声:横山幸汰)と寛太(声:谷合純矢)は、戦闘とは無縁のおだやかな少年時代を送っていた。ところが終戦直後にソ連兵が突如侵攻。彼らの家や財産は没収され、かつての母屋にはソ連将校の一家が暮らすことに。その娘ターニャ(声・ポリーナ・イリュシェンコ)との交流に一時の幸福感を覚えるも、二人の家族はやがて過酷な運命に巻き込まれる。

「ジョバンニの島」は、典型的な後者のタイプ、すなわち戦争を天変地異のごときものとして、それに翻弄される一家を描いたミクロ視点の戦争映画だ。

このタイプの映画はお涙ちょうだいがやりやすく、大衆の支持共感も集めやすいが、この映画はその中でもすこぶる強力な涙腺破壊力およびトラウマ発生源としてのパワーを持つ。

主人公は純粋きわまりない兄弟で、悲惨な消耗線を戦う本土とは正反対に、穏やかな色丹島で暮らしている。だがここを悲劇がおそうのは終戦後、であった。火事場泥棒的にやってきた侵略者、ソ連による占領がそれだ。彼ら一家は家畜小屋に追い込まれ、大好きだった学校にも、ソ連兵の子供たちがやってくる。

教室や自宅の壁一枚を隔てて、戦勝国と敗戦国の子供たちが授業を、あるいは日常生活を送る。壁一枚といえば物理的には薄いものだが、両者の隔たりは天と地ほどの距離がある。子供たちはやがてそれを、やがて身を持って知ることになる。

こうして描かれる日ソの隔たり、その構図こそ、北方領土問題の本質に迫った本作のメッセージの一つである。ターニャと会うがため、あるいは父と会うがため、両者の合間を危うい冒険で行き来する兄弟の姿は、生と死の世界の狭間をさまよう宮沢賢治「銀河鉄道の夜」の世界観に通じる。だからこの映画には、それがモチーフとして使われている。

あの本の中の、サソリの火の逸話で宮沢賢治が伝えたかった「究極の愛」すなわち自己献身の精神は、この映画のもっとも感動的な、鉄条網越しのあるシーンで集約される。その直前の父親の厳しい台詞が、猛烈なる伏線となって心に響く。文字通り血の涙を流す登場人物の愛情は、まぎれもなく究極の愛そのものである。

映画的には、その後のおんぶのシークエンスはもっとサスペンスフルに演出してもよかったと思うし、宮沢賢治もぎりぎりまで引っ張った方が、まだ見せ場があったのかと観客を驚かさせることができただろうと思う。結末にもっと現実の厳しさを織り交ぜてもよかった。

とはいえ、こうした愛国北方領土アニメの企画が普通に通る時代になったことについては、ただただ驚きを持って見つめている。10年前だったら、この映画は作られることはなかっただろう。

素朴なタッチの絵に、人々の共感を誘う腰の重い演出。的確な音楽も、強力なドラマ的見せ場もある。読めなくてもそれほど影響はないものの字幕があるし、戦争の予備知識がないとわかりにくいから小学校中学年くらいからが対象だが、実話を元にした戦争映画の佳作を、普通に子供たちに見せられるようになったのは、とても良いことだ。



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