「17歳」75点(100点満点中)
監督:フランソワ・オゾン 出演:マリーヌ・ヴァクト ジェラルディーヌ・ペラス 

若い子のおっぱいに目を奪われていると大ショック

フランソワ・オゾンという監督はいろいろなジャンルを撮りこなす器用さを持つが、とくにミステリをやらせると一流である。「17歳」は彼の最新作で、援助交際にはまりこむ17歳の女の子の心理に迫るドラマだが、これもみようによっては良質なミステリとなっている。

17歳の美しい少女イザベル(マリーヌ・ヴァクト)は、手近な男で初体験を済ませると、何かに取りつかれたように不特定多数の男と体を重ね始める。しかもそれは出会い系サイトでみつけた見知らぬ男たちで、彼女は彼らから対価をとる、すなわち売春をしているのだった。とくに周りに深刻な問題など見当たらないというのに、いったいイザベルはなぜそんなことをするのだろうか……。

オンナも30歳を越えると徐々に単純になってきて扱いやすくなるものだ。もっとも、ひとたび怒らせてしまったら大変恐ろしいのもこの年代の特徴ではあるが、とりあえず犬のようにひれ伏して許しをこえば、たいていのことは受け入れてくれる。そんな慈愛の心こそ、男としてはなかなかどうして可愛いなと感じるものである。

ところが17歳の女などというのは、もはやまったく異なる生き物である。とりあえず人間になった三十路過ぎのそれとは異なり、理解の範疇を越えた、不確実性の固まりのようなものであるから、父親であろうと恋人であろうと男にはたいへん扱いにくい。

そんな危険物のような生物の心、それも援交なんぞに関わるぶっとんだ17歳のそれを、同姓愛者であるフランソワ・オゾン監督は冷静に、それこそおどろくほど突き放して暴き出す。

その謎解きがまた心憎いほどに的確で、なるほどこいつらはこういう発想によってこういう素っ頓狂な行動をとるのかとよくわかる。

これが想像力の欠如した平凡な男が監督ならば、自分の価値を確認したいからかな、とか、愛情に飢えているのかな、などと考える。人間化したアラサーの主婦売春ならそういう理由もありかもしれないが、売り出せば一番高く売れるであろう17歳処女が売春にはまる理由としては、いかにも陳腐にすぎる。

その興味深いオゾンの種明かしについては本編を見ていただくとして、主演のマリーヌ・ヴァクトはなかなかよい。

白人にしてはやせすぎといってもいいスリムな体に、意外と大きめのバストがぶら下がっている。それは重力にちゃんと反抗して上を向くいる10代のそれだが、演じる彼女のは20代中盤。なかなかの胸いや役作りである。別に作ってないか。

彼女の周りの人間関係を見ると、真っ先に母親とのすれ違いが目につく。女同士、なまじ母親との距離が近いだけに、義父や弟よりもイザベルを理解していない絶望的な状況が違和感を増大させてゆく。

オーラルセックスによる快楽のショットがバックの音楽とともにぶったぎられる、断絶感あふれる演出も的確。金で買ったセックスの快感は、長く続かないうえに唐突に終わるのである。

現実か幻かわからない終盤のある重要な相手との会話シーン。相手の女が「自分も(売春を)やってみたかったが今はできない」とか語る場面がある。ヒロインにはできて、なぜ今の彼女にはでいないのか。その理由はたった一つだけ、である。

この監督は、それこそが女の最強の武器であり価値であると暗に示す。恐ろしいほどの残酷さだが、それができるのは彼の性的志向と無関係ではないだろう。

まさにフランソワ・オゾンだからこそできた、女の本質の暴き出し。女性が見るには勇気が要るだろうが、紛れもない佳作。人間観察力がある監督ならではの、良質なミステリ風人間ドラマである。



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