「悪の法則」85点(100点満点中)
監督:リドリー・スコット 出演:マイケル・ファスベンダー ペネロペ・クルス

ただの豪華キャスト映画ではない

マイケル・ファスベンダー、ペネロペ・クルス、キャメロン・ディアス、ハビエル・バルデム、そしてブラッド・ピットと豪華出演陣に、テンポのいい編集がスタイリッシュな予告編。これってアタシみたいなオサレ女子にぴったりな映画じゃない?今日のフェイスブックのネタはこれできまりね!

──と思った推定40代女子のみなさん申し訳ない。それらはすべて映画宣伝会社の悪ふざけであり、万が一にもそんな気構えでこの映画を見ると、とんでもないトラウマを植え付けられかねないのでお気をつけいただきたい。

"カウンセラー"と呼ばれる若き敏腕弁護士(マイケル・ファスベンダー)は、あまりに美しい恋人のローラ(ペネロペ・クルス)との結婚に先立ち、ぜいたくな暮らしへの欲が出ていた。そこで旧知の実業家ライナー(ハビエル・バルデム)から裏社会で生きるウェストリー(ブラッド・ピット)を紹介してもらい、メキシコマフィアとの麻薬取引に手を染めることに。一回だけ、危ない橋は渡らないと、念には念を入れて挑んだカウンセラーだが、予期せぬトラブルに巻き込まれ窮地に追い込まれてしまう。

いつもニコニコ、業界一読者に親切な超映画批評だから真っ先に書くが、こいつはホラー映画でもないくせにやたらと怖い、きわめて危険な一本である。

ここに出てくるハリウッドを代表する大スターたちが、容赦なく追いこみをかけられる姿。その厳しさときたら、映画の決め事、ハリウッドのお約束を打ち崩す冷たい殺戮の嵐である。

人間、法則が崩されると弱い。この映画が描くメキシコ麻薬カルテルには、まさに世間の常識、道徳、普遍の法則といったものがまったく通用しない。世界を滅ぼすゾンビを退治してきたばかりのブラピでさえ勝てそうにない相手である。なんと恐ろしいことか。

映画は犯人探しのミステリ風雛形で作ってあるが、序盤から漂うヤバイ感が半端なく、そんな謎解きを考えてなどいられない。

ピンチになった主人公の周りには、幸い妙に面倒見のいい奴らばかりがそろっているが、彼らの助言が何の役にも立たない絶望感ときたらない。

この道何十年の修羅場をくぐってきたような荒くれ男たちが、すました顔で「もう逃げ場はない」とか「選択肢は過去に選ばれていた、あとは受け入れるだけだ」などと、恐怖を増幅させるだけのろくでもない忠告ばかりして去っていく。自分のゲームオーバーぶりがよけいに際だつという、ありがた迷惑な親切である。そうして主人公に共感する観客をも精神的に追いつめていく。

なにしろ悪徳なのは、「悪の法則」などというタイトルを付けながら、冒頭のチーターの場面からして「法則なんて知ったことか」といわんばかりの不条理なメッセージが繰り返される点である。

獲物をもてあそぶハンター、ドラム缶の中の死体、どう考えても殺す意味がない奴まで殺される展開、そしてフェラーリ上の行為。

すべては法則、論理といったものとは正反対のモチーフである。その極め付けとして、およそ話の通じない悪役としてメキシコ麻薬マフィアが鎮座している。彼らの挙動、行動原理はまったく予想ができず、まるで異種族、異星人のようだ。

これらからわかるのは、この映画は要するに「法則無き恐怖」を観客に味あわせようという、意地悪な企画ということである。メキシコ側の台詞にあえて字幕をつけない演出もその一環である。

法則のわからぬ悪意に対し、我々一般人は打つ手がない。この映画はそれをイヤというほど繰り返すことで、私たちには倫理や法律、そうした法則・きまりごとの元で正しく生きることがなにより大事なのだと、そういうことを教えている。

当たり前すぎる教訓といえばそれまでだが、こういう強烈な語り口でいわれると新鮮で、そうだよな、確かにそうしようと納得してしまう。

その意味で、なかなか心憎い佳作といえるだろう。心臓の強い方限定だが、今週のオススメだ。



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