「四十九日のレシピ」60点(100点満点中)
監督:タナダユキ 出演:永作博美 石橋蓮司

時代性という意味では正反対

「四十九日のレシピ」は女性監督らしく、細やかな人間観察によるエピソードが心に響くドラマだが、まだまだ不器用で細部が荒っぽいのと、時代をみる大局的な視点が少々ずれているので傑作になれずにいる、惜しい一本である。

妻の乙美を失い気落ちしていた熱田良平(石橋蓮司)のもとに、乙美から面倒を見てくれと頼まれたと派手な少女イモ(二階堂ふみ)がやってくる。その異様な明るさに振り回されていると、ほどなく娘の百合子(永作博美)も戻ってくる。百合子は不妊治療中の夫(原田泰造)がよりにもよって不倫相手を妊娠させたことで深く傷つき、離婚届をおいて出てきたのだった。

傷ついた家族のもとに、死んだ妻からのメッセンジャーというべき少女がおかしな遺言を届けに来る。「四十九日の法要は思い切り楽しい宴会に」との非常識なそれをどうするか、残された人が頭を悩ませるのが大筋となる。

生前、コロッケサンド弁当のソース漏れを思わず怒鳴ってしまったことを悔いている夫のエピソードなど、心をチクリと指す描写がタナダユキ監督はうまい。ちゃんと伏線にもなっているのだが、こういうものを見ると素直に「ああ、古女房にもっと優しくしなきゃいけないな」と思い出すことができる。それだけでも貴重な、奥さん大事にしよう映画として存在意義がある。

動物園のお弁当をめぐるエピソードも構造は同じで、監督はここいらに自信をもって描いているのがよくわかる。アメリカンドッグのエピソードもリアリティと痛みが感じられる。じっさい、これくらい心に響くネタをもっとたくさん見せてと、思わず注文したくなる。いい感性、人間観察力を持った監督である。

基本的には、「たくさん子供を産み育てましょう」との世間一般の幸せの雛形からはずれた女の苦悩の物語。具体的には子供ができなかったことで結婚生活が破綻したヒロインの話である。はたして子供を産めなかった女は幸せになれるのか、なれないのか。

演じる永作博美は、いい年をして子供がいない女のつらさ、劣等感、そういうものを強烈に伝えてくる。撮影にあたって、あえてスキンケアをしないで肌を荒らしたというデニーロアプローチも効果的である。この女優は決して表情の引きだしが多いわけではないが、自分の強みを知っており役選びがうまい。

映画的には、途中はだらけるところもあるが最後の泣ける見せ場はしっかり作ってある。だから、そこそこ締まっている。

具体的に改善してほしいポイントを挙げると、二階堂と石橋の四十九日に関しての掛け合い、ああいう瞬発的な笑いができるのならもっと織り交ぜたらよかった。一方、クライマックスのアロハ・オエは長すぎて踊りまくる皆の姿が白々しく、気恥ずかしく見えてしまう。そこはさらっと短めに切り上げた方がいい。

この映画は震災後にその影響を受けて企画されたもので、家族「以外」の絆によって癒される人々が主題として描かれている。それが2013年らしい家族映画だと、作り手はそういいたいらしい。

だがそれは違う。震災を経て日本人は、逆に家族至上主義へと回帰したのである。これは9.11で同じ方向に進んだアメリカ人のケースと同じ。このサイトで何度も指摘しているように、ここ数年のハリウッド映画が家族大事大事といい続けているのを見れば誰でもわかる。

人間はカタストロフィに直面すると血のつながりを求めるようにできている。だから、2013年らしい映画をというのなら目指す方向が正反対である。

この映画のように、妊娠した夫の愛人や早く子づくりしろとせかす叔母らを、ある種の悪役として誇張して対比する手法を安易にとるあたりは、古いやり方だなと感じさせて逆に共感を阻害する。

今どきの女たちは、結婚を切望し、子供を作りたいと望んでいる。そうした価値観を反対するものたちさえ薄々気づいている。それは、生物的に否定しようのない正論であるからだ。

問題なのは、現在はそれを実現したリア充と、そうでないみじめな負け組の二種しか選択肢がない点なのである。

しかもその選択は、必ずしも自分の意志では選べない。この残酷なる現実を認めにくいのは、ほかの生き方の有効な提案が無いからである。

だから今は善悪の対立構図ではなく、負けは負けだがこっちにも幸せはあるんだぜ、という言い方をしたほうがよりスマートで、女性たちにもすんなり受け入れられるはずである。

革新的な映画監督やフェミニストがやるべきことは、負け組などとさげすまれている傷ついた女性たちにそうした提案を行うことである。それができないようでは、彼らは絶滅器具種になってしまうだろう。

「四十九日のレシピ」が選んだ題材は、時代性という意味ではまさに大正解だったのだが、残念ながら時代の先を見る目をあまり感じさせない。つまり、少々古い発想の映画ではあるが、前述したとおり光る部分も多々ある映画である。

タナダユキ監督にはさらにその感性を磨き、いずれ傑作をものにしていただきたいと思う。



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