「パーシー・ジャクソンとオリンポスの神々:魔の海」45点(100点満点中)
監督:トール・フロイデンタール 出演:ローガン・ラーマン アレクサンドラ・ダダリオ

監督交代でパワーダウン

アメリカ映画において、シリーズものの途中で監督が替わるのはよくあること。一作目を大御所が軌道にのせ、離陸したシリーズを新人や中堅に任せるのは王道でもある。そうして様々なリソースを節約しつつ、人材も育てながら最大限の効果をあげるというわけだ。

「パーシー・ジャクソンとオリンポスの神々」(10年、米)の続編である本作もそんなひとつ。はたして吉と出るか凶と出るか。

海神ポセイドンと人間のハーフであるパーシー(ローガン・ラーマン)は、完全なる安全地帯であるはずのハーフ訓練所で結界を破った怪物に襲われる。原因は結界を守る大木が敵の策謀により枯れ始めていること。大木復活のために「黄金の毛皮」が必要だと知ったパーシーとアナベス(アレクサンドラ・ダダリオ)、グローバー(ブランドン・T・ジャクソン)らは魔の海へと旅立つことにしたが、そこに意外な人物が同行を申し出てくる。

ギリシャ神話をベースにしたティーン向け現代アクション劇である本作は、一作目のクリス・コロンバスから新鋭トール・フロイデンタールへと監督が交代した。

こうした交代がいいほうに転ぶこともあるが、今回は残念ながら逆。トール・フロイデンタール監督は、原作を大胆に脚色したクリス・コロンバス版に感銘を受けたファンだそうだが、いったいどこを見ていたんだと問いたい。

前作はギリシャ神話を現代ニューヨークに持ってきたことによるパロディギャグを軸に、ひとたび見せ場にはいると手抜き無しのアクションがみられる。その新鮮なギャップ感が最大の魅力であった。これはいわば「展開」の魅力であり、キャラクターは二の次という意味。

ところがこちらはそうした美点は引き継がれておらず、主人公パーシーとその太鼓持ち、そして優秀な美少女のパーティーによる学園ドラマ風、すなわちキャラクタードラマとしての味付けが濃くなっている。トール・フロイデンタール監督が見て感銘を受けたのは「パーシー・ジャクソンとオリンポスの神々」でなく、丸メガネの少年魔法使いが活躍するイギリス児童文学の映画版だったのか。すなわち、ツタヤで借り間違えたということか。

一方前作の監督クリス・コロンバスは、ある種のメシアものとして主人公をカリスマ扱いする「ハリー・ポッター」シリーズと異なり、共感重視の平凡なパーシー・ジャクソンの強みは別のところにあると理解していただろうと思う。

だがこの続編は、その弱いキャラクター性を前面に押し出した結果、ハリポタの縮小再生産のようなファンタジーとなった。

見せ場は大きくみて3つか4つあるが、冒頭のメカ牛襲撃こそ、日常が破られるショックと、サイクロップス弟の活躍もあって盛り上がったが、後にいくほどしぼんでいく。

だいたいパーシー・ジャクソンは、映画版ではいまのところ陸では大した特技もない平凡な剣士なのだから、戦い方・倒し方によほど工夫をしないと場が持たない。

前作は、神話の中の有名なエピソード、化け物を現代NYに再現することで、逆にこれがギリシャ神話の映画なのだと強く印象付けた。それこそが類似ファンタジーとの差別化になっていた。

もし次回作があるならば、そうした「ギリシャ」が足りない本作を反省し、当初のコンセプトに戻る勇気を持ってほしい。そうすれば、かならずや独自のポジションをゲットできるポテンシャルが、このシリーズにはあると思う。



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