「そして父になる」75点(100点満点中)
監督:是枝裕和 出演:福山雅治 尾野真千子

傑作だが考え方には異論も

イクメンなどという言葉が生まれ、お父さんが積極的に育児にかかわることが珍しくない今の時代。だが、どんな大人だって最初から親だったわけではない。私は、子供たちには早めに知っておいてほしいことだと思っているが、あなたたちが生まれる前は父も母も「親」ではない、ただのおじさんおばさんだったのである。

そんなただのおじさんが「父」になる瞬間、過程を描いた「そして父になる」は、福山雅治にあて書きされたオリジナル脚本。福山がただのおじさんかどうかは別として、いまどきこうした地味な企画を映画の形にできるだけでも、是枝裕和という人物は大した監督である。

勝ち組人生を歩んできたエリートサラリーマンの野々宮(福山雅治)は、6歳になる息子の慶多(二宮慶多)がお受験で優秀さを見せても、優しすぎて覇気のない性格にはどこか不満げだ。そんなとき、病院から驚くべき知らせが入る。なんと慶多は新生児のときに取り違えられた、別の家の子供だという。本当の息子・琉晴(横升火玄)が暮らす斎木(リリー・フランキー)とその妻(真木よう子)と接触した野々宮は、がさつで卑屈な斎木に嫌悪感を催すも、その息子の競争心ある態度に「血」の絆を感じ、惹かれるのだった。

「6年間育てた息子を交換できるか」この一点シミュレーションで見せる「そして父になる」は、人間ドラマとしてもエンターテイメントとしても優秀で、この月に一本選ぶならコレ、レベルの出来のよさ。

アイデアもいいし、イクメン時代の男性たちの共感を得られる題材だし、映画作りもうまい。見ていて単純に面白し感動もある。適齢期以降の男女、とくにカップルで見られる真面目な映画として貴重である。

相手方のド底辺夫婦の描き方がまたうまい。大人のくせにストローをかむ癖とか、子供の怪我に対する対応とか、細かい描写を積み重ねてウンザリとさせる。真木よう子の乱暴な言葉づかいがいかにも上手で、エリート福山ならずともこりゃたまらんと思わせる。

とはいえ、そんな第一印象とは裏腹に、子供たちにとっては彼らは案外いい親だったりする。なまじ頭がいいだけにそれをじわじわと感じ取り、焦りゆく主人公の姿もまたハラハラさせる。はたして誰が誰を育てることが皆の幸せにつながるのか。交換か、育児続行か、それとも別の道があるのか……。あなたなら、どうするだろうか。

かように文句なき筋運び、映画作りであったが、個人的に感じたのは、この傑作と私は考え方が合わないな、という点であった。むろん、それはたんなる意見の相違であり、この件による点数のマイナスはない。

たとえば「お受験」というものを、あたかも親のエゴ的な文脈で使っているあたりも古臭い感覚である。いまどきは貧しい家庭とて習い事や受験には熱心な時代だ。特にその究極たるお受験というものは、教養と知性をわが子に残したいという、親として最大の愛情行為であり、家族一丸となって戦わねば勝ち抜けない、まさに家族愛そのものである。この厳しい時代にわが子を守るのは、親亡き後は教育(によって身に付く実力)だけなのである。

もっとも是枝監督とて幼い子を持つ父親であるから、そのあたりは100も承知であろう。そのうえで、あえてステレオタイプな演出として使っているのだろうとは思うわけだが……。

そこを踏まえたうえで感じる違和感は、この映画の主人公ははたして「父になる」必要があったのか、ということだ。福山雅治演じる野々宮は、私に言わせれば最初から十二分に良い父親である。物語的におさまりがいいとはいえ、わざわざ映画の中で「成長」する必要は感じない。そうした展開は下手をすると偽善的に見えてしまう。

およそ親子愛というものは、多少のグダグダや親の至らなさを吹き飛ばす無条件の絆である。理想主義的かもしれないが私はそう思うし、わざわざ「立派な父親」にならずとも、必死にわが子を育てているありのままを肯定するメッセージのほうがより現代的で力強い。

だからこの作品のクライマックス、「あの彼」と「彼」の追跡お散歩会話の場面は、あえて不要であったと私は思うのである。二人が無言で抱き合えば、それで充分であった。

イクメンで行こう!―育児も仕事も充実させる生き方
いい傾向じゃないですかね。
男の子を伸ばす父親は、ここが違う!
考えすぎるのも問題とは思うけどね。


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