「風立ちぬ」40点(100点満点中)
2013年7月20日 全国東宝系 2013年/日本/カラー/126分/配給:東宝
原作・脚本・監督:宮崎駿(「月刊モデルグラフィックス」連載) 音楽:久石 譲(サントラ/徳間ジャパンコミュニケーションズ)  主題歌:「ひこうき雲」荒井由実 (EMI Records Japan) 声の出演:庵野秀明 瀧本美織 西島秀俊 西村雅彦

演技を否定する斬新なキャスティング

この夏、どころか本年度ナンバーワン候補筆頭である本作は、「紅の豚」(92年)以来の飛行機映画ということで、強く期待されている。何しろ宮崎駿監督が無類の飛行機マニアであることは、いまや一般の人でも知る有名な事実。本作も監督の趣味全開、伸び伸びと作った楽しい作品になるだろうと思うのは当然だ。しかし、そんな風に素朴に期待する人にとって本作は強力な地雷になりかねない。

幼いころから飛行機が好きで、いつか理想の機体を作ってみたいとの夢を持つ堀越二郎(声:庵野秀明)は、やがて成長して航空機の設計者となった。かつて関東大震災のさなか運命的な出会いをした菜穂子(声:瀧本美織)とも再会し、人生を謳歌していたが、彼らの未来には病と戦争が暗い影を落とし始めていた。

「崖の上のポニョ」(08年)以来の宮ア駿監督作品。零式艦上戦闘機、つまりゼロ戦の設計者として知られる堀越二郎と、小説「風立ちぬ」の作者・堀辰雄を「ごちゃまぜ」にした主人公の人物造形が見どころの、いわば「半」伝記映画である。

ジブリ初の実在の人物を描くということで、これは作家・宮崎駿にとっても相当なチャレンジとなる。そして結果的に、それはあまりうまくいっていない。

ノンフィクションベースということは、まともな人間ドラマを作らねばならないということ。だがこの主人公は、相変わらずの子供向けアニメのステレオタイプ。人間社会の膿とは無縁の、一切の汚れがない優等生だ。正義感にあふれ、弱気にならず、常に前向き。パズー少年となんら変わるところがない。ファンタジー世界を冒険するには違和感がないが、戦争前夜の日本で最重要兵器たる戦闘機を開発する成人男性としてはあまりに非現実的に見える。こうしたキャラ造形は監督オリジナルというから、人間の純粋性を強調したい意図があったのだろうが、すべてが偽善的に見える副作用のほうが大きい。

おまけに演じているのがエヴァンゲリオンシリーズで知られるアニメ監督の庵野秀明ときた。いうまでもなく声優でなければ演技者でもない。言葉は悪いがずぶの素人である。おかげでキスシーンも初夜シーンもすべて棒読みで、気になって画面に集中できない。せっかくの感動も台無しである。

控えめに評価して、ジブリアニメ史上、このキャスティングは最悪といってよい。この人が役をやればこうなるのはわかりきった話なのだから、これは明らかにキャスティングした側に責任がある。

次にアクション面だが、名うての反戦主義者である宮ア監督には、もともとゼロ戦が戦争で活躍する様子を爽快感たっぷりに描くことは、気持ちの上でできない。なにしろ彼が描けば飛行シーンは例外なく爽快になってしまうのだから、ゼロ戦の飛行シーンは封印せざるをえない。これは、宮崎アニメ最大の武器を封印されたようなもの。

アクションに期待できず、ドラマづくりの根幹たる人物造形と演技力が史上最悪レベルとくれば、もうどうにもならない。それでも途中退席せずみられるレベルに仕上げるのだから、天才監督というのはすごいものだ。

ところでこの映画は、監督が「矛盾」とどう対峙するかというのが一つのテーマになっている。

ゼロ戦の開発秘話だというのにゼロ戦の活躍場面を描けない。大好きな飛行機の映画だというのにそれが飛び回る場面をデザインできない。まさに矛盾への挑戦である。

実在の人物を描くというのに、戦争映画だというのに、子供の観客を意識するあまり生々しい描写ができない。ここでも矛盾が立ちはだかる。

飛行機を愛し、理想の機体を作りたいとの純粋な夢をかなえながらも、それが優秀な人殺しの道具として大勢のアメリカ人を殺してしまう理不尽。それどころか、自らの最高傑作がやがては有人ミサイルとして使われ、帰ってくることすらなかったという理不尽。これなどは最悪の矛盾である。

こうしたテーマは、宮崎監督にとっては相当魅力的であり、やりがいのある挑戦だったに違いない。ジブリ史上もっとも演技力が必要な主人公に、史上最も演技力のない声をあてた理由もそのあたりにあるのだろう。

何しろこの監督自身、誰よりも軍用機など兵器のことに詳しいマニアであると同時に戦争嫌いという、大きな矛盾に悩み続けてきたであろう人間だ。その意味で本作の主人公は、宮ア駿自身の投影だろうし、多大な共感を持って描かれたことは疑いがない。

ただ監督本人の中では、さすがにその矛盾はとっくにけりを付けてあるのだろうが、それがこの映画の中で説得力を持って示されることはない。むろん、自らの作家性を全員にわかりやすく示す必要はないし、そういうことを嫌う映画作家であることはこれまでの作品を見れば明らか。

だが、年間一位を狙えるほどに人々が宮崎アニメを愛する理由は、そんな作家性の強さをカバーするほどの娯楽性、面白さがあったからだ。真意はわかる人だけわかればいい、そんなものを気にしなくても十分面白いだろ、というのが宮崎アニメの本質である。

だが「風立ちぬ」には、先述した理由でその面白さすら欠けている。そして内容が内容だから、最低でも中学生以上向き。個人的な実感では傑作ぞろいのこの夏、いつものファミリー層が本作を真っ先にみる理由は見あたらない。



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