「マーガレット・サッチャー 鉄の女の涙」45点(100点満点中)
The Iron Lady 2012年3月16日(金)より、TOHOシネマズ日劇ほかにて全国公開 2011年/イギリス/カラー/105分/配給:ギャガ
監督:フィリダ・ロイド 脚本:アビ・モーガン 衣装:コンソラータ・ボイル  出演:メリル・ストリープ ハリー・ロイド ジム・ブロードベント アンソニー・ヘッド

サッチャーの素顔に迫る

イギリス労働者階級にとって、賃金低下と格差の拡大をもたらした新自由主義は不倶戴天の敵、その評価はボロボロである。その強力な推進者であったマーガレット・サッチャー元首相もまた然り。

しかし、この人物が良くも悪くも世界中に影響を与えた20世紀を代表する大政治家のひとりであることに変わりはない。

だから、彼女を好意的に描いた「マーガレット・サッチャー 鉄の女の涙」のような作品ができたとしても、それはそれで形になる。そこが薄味の政治家しかいない日本に住む身としては少々うらやましい。

認知症を発病した86歳の老婆が、すでに亡くなった妄想上の夫と話をしている。彼女はやがてさびしそうに、懐かしそうに回想をはじめる。それは下院議員からやがて首相へと上り詰めたマーガレット(メリル・ストリープ)、すなわち彼女自身の物語であった。

サッチャーを演じるのは、おなじみメリル・ストリープ。アメリカの誇る史上最高の女優の1人である彼女は、今回イギリス映画に出演、主要なキャスト中、ただ1人のアメリカ人俳優として孤軍奮闘する。

全盛期のサッチャーも、認知症の老サッチャーも、そのメリル・ストリープが1人で演じている。通常なら年齢面からも、それぞれ別の女優を使うところ、彼女はそれを1人でやってしまうのだから、ある意味リーズナブルである。

そんな彼女は、アカデミー賞の演技部門では17回ノミネートの世界記録を持っているが、今回は3度目の受賞(主演女優賞)となった。あと一回受賞すればキャサリン・ヘプバーンの記録に並ぶが時間の問題であろう。どの作品でも極めて安定したハイレベルの演技を見られるから、今後どこで受賞してもおかしくはない。

ただ本作の場合、彼女の演技以外に見どころが乏しいのが問題である。

そもそもイギリスの長い歴史の中で、サッチャー首相の統治時代は、稀に見るほど波乱万丈であった。まるで暴動のような労働争議であるとか、IRAの相次ぐ爆破テロ事件、(これにはサッチャー自身も巻き込まれたことがある)、そして何よりフォークランド紛争。

これ程ドラマチックな歴史的事件が相次いでいたにもかかわらず、この映画ではあっさりとしか描かれない。あらゆる作品で何度も扱われた題材だけに、繰り返しとなるのを嫌ったのかもしれないが、それにしても平坦にすぎる。

むろん、鉄の女と言われたサッチャー首相が、晩年、唯一の理解者である亡くなった夫の幻と話し合うほどに弱りきった姿を描くことで、1人の人間=女性としてのサッチャー像を浮き彫りにしたかったのだろうという狙いはわかる。

存名中の政治家の伝記映画としては、その一般的な社会的評価を覆そうというのだから、それなりに勇気がある視点であることも認める。

しかし、すでに認知症になって表舞台に姿を見せない1人の女性に対し、その弱さを強調した物語化は、見ていていたたまれないものがあるし、個人的にはもっと政治家としての凄みを見たかった気がする。彼女には、様々な名言、ウィットのある国会での切り返し等が記録されているから、そうしたものがあまり出てこないのも不満が残るところ。

それにしても、私がこんなふうに思うのも、日本が長いこと傑出した政治家に飢えている、そんな状況だからだろう。本当に迫力ある政治家を見せることは、それだけで日本人にとっては爽快なものなのである。しかし悲しいかなこの映画は日本人向けではないので、それを望んでも仕方がない。

サッチャー回顧録―ダウニング街の日々〈上〉
なぜ今サッチャー映画なのか、ってところですかね。
新自由主義か 新福祉国家か <民主党政権下の日本の行方>
民主党の政治家がこの映画見たらなんていうんでしょうか。


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