「ヒューゴの不思議な発明」85点(100点満点中)
Hugo 2012年3月 全国ロードショー!(3D/2D同時公開) 2011年/アメリカ/カラー/126分/配給:パラマウント ピクチャーズ ジャパン
原作:ブライアン・セルズニック『ユゴーの不思議な発明』 監督:マーティン・スコセッシ 脚本:ジョン・ローガン 出演:エイサ・バターフィールド クロエ・モレッツ ジュード・ロウ エミリー・モーティマー ベン・キングズレー

完成度なら一番だったが

アカデミー賞というのは、作品の出来不出来以上に、なぜ今ここにこの作品があるのか、それが問われるものだと私は思っている。その点「ヒューゴの不思議な発明」は満点で、さらに数ある作品賞候補の中でも群を抜く完成度を誇る。結果的には「アーティスト」(11年、仏)に譲ったものの、マーティン・スコセッシ監督がほんの5年前に「ディパーテッド」(06年、米)で受賞したばかりでなければ、きっとこちらが選ばれていたことだろう。

1930年代のパリ。リヨン駅の屋根裏にある時計台の中には、父親を失った少年ヒューゴ(エイサ・バターフィールド)が一人で住んでいる。生活に必要なものは駅のあちこちから拝借する借り暮らし。だが彼がもっとも収集に執念を燃やすのは、父親が残した機械人形の修理に必要なパーツ。人形を動かせば、父親が遺したメッセージを読める、そう彼は信じている。だがあるとき、ついに盗みの現場を玩具店の主人(ベン・キングズレー)にみつかってしまい……。

この作品は、様々な視点から語ることができる。

真っ先に挙げたいのは、この映画がスコセッシ監督初の3D映画という点。この流行技術に手を出す映画監督は少なくないが、そこはこだわりの男スコセッシ。「オレが3Dを使うならこういうアイデアをやるんだ」とずっと思い続けてきたのであろう、熟成した構想を感じさせる作品に仕上げてきた。

具体的に説明すると、彼は「人々が映画を初めて見たときの感動」を、デジタル3Dという新しい映像技術において、擬似的に再現させる試みを行っている。

この映画の中で描かれる初期の観客たちの感動(たとえば、せまりくる蒸気機関車の映像に対し、思わず驚いて体をよけてしまうなど)と類似した陶酔感をスコセッシ監督は、3Dでなければ味わえないであろうオープニングの移動映像で体験させてくれる。

次に、この映画の主人公はヒューゴという少年だが、おそらくスコセッシがそれ以上に心を込めたキャラクターは、彼が救うことになるジョルジュという老人だろう。映画黎明期を支えたフランスの映画監督であるこの実在の人物を、あえてフィクションの物語中で生き生きと描くことによって本作は、自他ともに認めるシネフィルである監督が、包み隠さず映画への愛を表明した作品になっている。

ところでこの、監督による映画愛の表明という点は、アカデミー作品賞を受賞した「アーティスト」と全く同じである。「アーティスト」は、最新作ながらモノクロのサイレント映画だが、1920年代のアメリカ映画業界に尊敬の念を表明した作品。

これに対し「ヒューゴの不思議な発明」は、リュミエール兄弟から続く映画黎明期のフランス映画界に対する尊敬と敬意を払った作品である。

かたやフランスの映画監督がアメリカ映画界に対する尊敬を表した作品。かたやアメリカの巨匠スコセッシが、フランス映画人に尊敬を表した作品。イラン情勢が緊迫する中東で石油権益を争う二大国が、アカデミー賞においてラブレターの送りあいとは、なんともシュールな光景である。まして米国を代表する大監督が「格下」のフランス人監督にオスカー像を譲ることになったのだから、なにをかいわんやだ。今年のアカデミー賞は、まるでフランスLOVE!がテーマのようで興味深い。

この映画はそんなわけで、映画好きの大人たちも十二分に楽しめるが、基本的には子供たちをメイン客層とするから、わかりやすいアドベンチャー的見せ場や、子供たちが胸踊るような設定が用意されている。古めかしい駅の壁の向こう側に、親のいない子供が1人でたくましく暮らすというのは、身の回りに冒険というものがなくなった現代っ子たちの目にはたまらない胸ワク設定に映るだろう。

彼が動かす時計台、無数の歯車。それが町の遠景ショットに重なる構図が示唆しているのは、機械には不要な部品が一つもないということ。イコール、町の中に住む私たち人間にも、1人として不要な存在などないんだという、極めて前向きな人生賛歌のメッセージ。もちろん、本作の題材である映画作りに、全く不要な人員がいないという部分も、その主題のリフレインである。あなたが見てるこの映画にだって不要なショットはひとつもないんだよ、というわけだ。スコセッシ級の監督がそういうことを言えば、説得力は抜群である。

原作では悪役として描かれる駅の保安員に極めて重要な役割を与えることで、「誰にでも存在意義がある」との先程のテーマを強調しているあたりも心憎い。すべては計算づくのプロフェッショナルな演出である。

映像、ストーリー、演出。そして人々の共感を得るに値するテーマ性。「ヒューゴの不思議な発明」には死角がなく、誰にでも高い満足度を与えてくれるだろう。



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