『さや侍』60点(100点満点中)
2011年6月11日(土) 全国公開!! 2011年/日本/カラー/103分/配給:松竹
監督・脚本:松本人志 脚本協力:高須光聖、長谷川朝二、江間浩司、倉本美津留 出演:野見隆明
熊田聖亜 板尾創路 柄本時生 りょう ROLLY 腹筋善之介 伊武雅刀 國村隼
≪だいぶ器用になってきた≫
この仕事をしていると、やがて試写室ボケの症状が出る。それは端的にいうと、批評家にとって重要な「一般のお客さんの感覚」を失うこと。
私は試写室で何百本みようが「映画」を味わったことにはならないと考えている。小さいスクリーンにささやかな音響設備、客席には一人で来場するプロばかり。それはあくまで「映画館」とよく似た別物である。
愛する恋人や家族友人とやってきた人々の、作品への期待にあふれた空気の中、大スクリーンで見る。それは試写室とは大違いである。その誤差を修正するため、私は話題作のいくつかは一般の劇場で見ることにしている。
松本人志監督最新作『さや侍』は特にその誤差が大きい作品であろうと考えた私は、公開1週目の、銀座の巨大映画館でこれを見た。平日の最終回、上映5分前。客席には10数名の、単独の男性客を中心とした人々。ここは800席以上を誇る巨大劇場であり、この人数に少なからぬショックを受ける。
事情により刀を捨てた武士、野見勘十郎(野見隆明)。未練がましくいまだ鞘だけ腰にさし、一人娘のたえ(熊田聖亜)と旅を続ける彼は、脱藩者として追われる身であった。やがて囚われの身となり、切腹を言い渡されるが、この藩には奇妙な風習があった。それは、母の死以来笑顔を失った若君(清水柊馬)を笑わせることができれば無罪放免というもの。一日一芸、猶予は30日。勘十郎とたえの、新たな挑戦が始まった。
人は誰でも捨てがたい「未練」を引きづり生きている。松本人志監督は、解約した携帯電話を捨てられない人物のエピソードから本作のメインアイデアを思い付いたそうだが、それは監督本人にもそうしたものがあり、共感したからであろう。
主人公が幼い娘を連れている設定も、愛娘が生まれたばかりの監督が、このキャラクターに自身を投影しているためと考える事ができる。「大日本人」「しんぼる」と違い自分で演じないのは、それではあからさますぎるからだろうか。それとも予定調和を嫌う作家としてのプライドからか。
いずれにせよ、エンドロールの途中に現れる「真のラストシーン」で「主人公の野見勘十郎」と「共演」する人物をみれば、誰もがその仮定にたどり着くだろう。
主人公イコール松本監督すれば、終盤の予想外な展開の意味もおぼろげながら見えてくる。
本来の生業かつ生き様(武士)とは違うこと(お笑い)をやる羽目になり、それなりの才能を発揮する主人公。周囲の人々を魅了し、そうしたお仲間やファンだけは簡単に爆笑させる事ができるようになるが、若君だけは笑ってくれない。
たとえ周りがおだてても、自分の芸の未熟さを理解する主人公は最後に何をするか。どんな生きざまを選ぶか。そこに監督の美学が込められているのだろう。私はお笑い芸人としての松本人志監督をまったく知らないので、監督にとっての鞘(未練であり本質)が何かはわからないが、映画を見た限りではそんな風に解釈した。
映画自体は、前衛的だった前2作にくらべると比較的定型的な印象をうける。伏線を地道に回収したり、笑いを涙に変えてゆくなどといった、映画監督としての器用さを見ることができる。もっとも、そのどれも少々あまのじゃくで、奇をてらいまくっているのがこの監督のとんがったところであり、魅力の一つだ。普通の映画を見たけりゃハリウッド作を見て頂戴と、そういうことなのだろう。
映画のほとんどは、一日一芸の「30日の行」の繰り返し。野見隆明による捨て身の芸の数々は、お笑い番組をみているようで普通に笑える。逆に言えば、それだけが監督からの一般客向けサービスということだ。
その他の難解かつ天の邪鬼な映画要素の大部分は、ついてくる人だけどうぞという性質のもの。彼の大ファンとか、映画マニアはそちらにこそ期待するわけだが、それなりに解釈を楽しむ余地はある。
彼の映画はどれも、そうした「二枚構造」になっているから、お客さんもそこはしっかり理解したうえで鑑賞しなくてはならない。自分の期待する以外のものが含まれているからと言って、批判ばかりするのでは監督が気の毒である。
こうしたとんがった映画を、定期的に作り続けることができる恵まれた制作環境にある映画作家は世界的にもほとんどいない。その理由は言うまでもないが、松本人志監督が超有名人であり、製作費を引っ張ってくる力があるからだ。
これは、おカネの面ではいつでも土俵際の日本映画業界にしてみれば奇跡的な環境であり、良い意味での突然変異を生み出す可能性がある貴重なものである。
凡作ばかり粗製乱造する日本映画業界の発展のためにも、こうした映画監督を余裕をもって育てる意識を、映画ファンなら持ってほしいところだ。松本人志監督が次回作で、どんな想定外を見せてくれるか。私は引き続き期待している。