『手塚治虫のブッダ 赤い砂漠よ!美しく』25点(100点満点中)
2011年5月28日公開 2011年/日本/カラー/111分/配給:東映/ ワーナー・ブラザース映画
原作:手塚治虫 監督:森下孝三 脚本:吉田玲子 歴史アドバイザー:ひろさちや 声の出演:吉永小百合 堺雅人 観世清和(能楽観世流二十六世家元) 黒谷友香 吉岡秀隆 水樹奈々

≪大人には物足りず、子供には後味悪い≫

「手塚治虫の」などと有名人の名前がタイトルについていると、とたんに不安になるわけであるが、本作はそんな私の超高精度危険物探知アンテナの実力がみごとに証明されたダメ作であった。

2500年前のインドに、世界を変えると予言される男子が誕生した。緑豊かな釈迦国の王子ゴータマ・シッダールタ(声:吉岡秀隆)は、そうした期待にそぐわぬ心優しい少年へと成長してゆく。だが隣国のコーサラ国は釈迦国を狙い、軍勢を整えている。そんなきな臭い情勢下、優しいゴータマにも戦うリーダーの資質が求められてゆくのだった。

お釈迦様ことシッダールタの生涯を、3部作で描く長大なプロジェクトの第一弾。日本アニメの基礎を作り上げた東映アニメーションが、手塚治虫の最高傑作と称される原作をアニメ化した、業界の期待を担う本年度有数の話題作である。

この第一部では、若きシッダールタとともに、もう一人の主人公の生き様も描かれる。その人物は、奴隷の少年チャプラ(声:堺雅人)。身分を偽り、手段を選ばずコーサラ国の軍人としてのし上がってゆくその偽りの人生が、むしろこの1作目の本筋となっている。奴隷出身らしくたくましい精神とタフな肉体を持つチャプラは、離れ離れになった愛する母親のため、ひたすら上を目指す。厳しい階級社会インドの中で、必死に運命にあらがう姿は、格差社会で生きる現代人の共感を得るためのキャラクターといえるだろう。

シッダールタは生まれた時から王座が約束されたセレブで、ある意味世間知らずながらもそんな安寧な暮らしに疑問を持っている。対してチャプラは最底辺の現実を知る男。この二人が出会うとき何が起きるか、それが1作目のクライマックスとなる。

『手塚治虫のブッダ 赤い砂漠よ!美しく』の問題点は、まるで宗教団体の勧誘ビデオのように生ぬるく新鮮味のない描写とアニメ技術、そしてストーリー、声優の演技である。よく考えてみたら全部ダメのような気もするが、そこまでは言うまい。

まずシッダールタだが、毎日が贅沢三昧で悩みなし、てな王宮生活は類型的に過ぎる。宿命を背負って生まれたものの重圧、責任感を描いていないから、最終的に王座をかなぐりすてる主人公の選択にまったく重みが生まれない。観客の子供のみならず、大人が見ても彼の行動の意味と重大性はまったく伝わってこない。イケメンのセレブが、ある日思いついて木の下で服を脱ぐだけの話になってしまっている。そんな簡単な解脱があるか。

もう一人のチャプラにしても、悪のカリスマとしてもっと魅力的に描写してやらないと、その運命のはかなさに誰もショックを受けないし、哲学的な余韻を感じることもない。彼にとっての上昇志向とは、すべてを奪われ失ってゆく喪失の日々の中で、苦しみとともに最後に燃え残った誇りであり、ともし火のはずである。それをちゃんと順を追って演出しないから、見ている人は誰もわからない。なんだか思いつきでオレちょっと軍人になってくらぁ、といった具合にしか見えない。

3部作とはいえ、ラストシーンの適当具合も泣けてくる。時間が来たので今日はここまでにしますネ! と途中で帰っちゃった紙芝居のおじさん並の唐突さで終わる。

どう考えてもこの程度の出来のアニメーション映画を3つも続けるのは無理だ。この一作目を見て次が気になる人は一人もいないだろうし、ましてお金を払って続きを見に行く可能性は極めて低いだろう。それでも企画が通ってしまうのは、仏教団体その他の安定した前売り券の消化先があるからではないか。そんな風に勘ぐられてしまいかねない。そうした声を吹き飛ばすべく、スタッフの皆さんにはぜひとも次作で挽回していただきたい。



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