『マイ・バック・ページ』55点(100点満点中)
2011年5月28日(土)、新宿ピカデリー、丸の内TOEI他全国ロードショー 2011年/日本/カラー/??分/配給:アスミック・エース
原作:川本三郎 監督:山下敦弘 脚本:向井康介 出演:妻夫木聡 松山ケンイチ 忽那汐里 石橋杏奈 韓英恵 長塚圭史

≪冷酷になりきれなかった男たちの青春≫

福島第一原子力発電所の事故は様々な方面に影響を与えているが、私が驚いたのはいわゆる保守業界(のうち原発擁護派)の狼狽ぶりであった。

普段は現実主義的視点で議論できる人々が、そろって感情に振り回され論理性を失っている。左翼憎しで目が曇ったか、異端の域を出ぬ低線量放射線有益論に、すがるように飛びついてしまう。平時に何を信じようと勝手だが、有事に珍奇な説を振り回すのは人の生き死にに関わる。

発言力、影響力の強い文化人や元軍人たちが、福島の子供たちの命で行うハイリスクノーリターンなギャンブルにお墨付きを与える恰好になっている。自分らが万が一間違っていたら、誰も責任などとれない悲惨な事態になる事にさえ、想像力が及ばないのだろうか。なぜ彼らは極論に走ってしまったのか。

ところがこの事態を考察しているさなかに見た『マイ・バック・ページ』は、私にその謎を解くひらめきを与えてくれた。この映画は新左翼運動に共感したあるジャーナリストの敗北の日々を描いた作品で、普通に考えれば大昔の思い出話に過ぎないが、ユニークなことに上に描いた現在の状況にも通ずる、普遍的な行動原理を見抜いている。

学生運動が盛り上がった1969年、大手新聞社発行の週刊誌記者となった沢田(妻夫木聡)は、取材の過程で活動家たちと関わるようになる。理想高き全共闘リーダーたちの堂々たる演説を浴びるうち、やがて沢田は彼らに取材対象以上の魅力を感じるようになってゆく。そんなある日、彼は武装革命を実行すると称する若者、梅山(松山ケンイチ)のインタビューを行う。先輩記者は相手にしなかったが、沢田は梅山にただならぬ気配とシンパシーを感じるのだった。

取材記者と若き革命家。この出会いがある悲劇を呼び起こす。映画評論家としても活躍する川本三郎氏の回想録を劇映画化したもので、名前等は仮名になっているが、実際に起きた事件をもとにしている。

それは俗に赤衛軍事件といわれるもので、具体的な内容は映画のネタバレになるので書かないが、今どきの若い人にはおそらくまったく理解できない、「この日本に、それもほんの40年足らず前にこんな出来事があったのか」と驚くであろう種類のものである。

この事件の主犯格(松山ケンイチ)と、取材者である主人公(妻夫木聡)の奇妙な交流。それがこの物語のすべてといってもよい。さらに簡単に言ってしまえば、いち記者が法より犯罪者との友情(と呼ぶべきかはともかく)を優先してしまう物語である。

二人が取材者と被取材者の守るべき一線をたやすくふみ超えてしまう様子には、この時代ならではののどかさ、というべき雰囲気も感じさせる。

とくに二人が打ち解けるその瞬間はシンプルに演出される。具体的には、記者がこのテロリスト予備軍に共通の趣味を見るという、ただそれだけ。そこだけ見れば、あほかと思うような素朴さ、単純さである。

この事について川本氏は鈴木邦男氏との対談本の中で、ビートルズではなくやや主流から外れたロックバンドCCR(クリーデンス・クリアウォーター・リバイバル)をお互い好きだったこと、そして宮沢賢治のややマイナーな本が愛読書だったこと「その二点で意気投合して、参っちゃった」と語っている。

マスコミ界の頂点、朝日新聞社に入る頭脳を持った男でも、そんな事であっさりと「落ちて」しまう。ずいぶん滑稽だと私は思ったし、本人も「敗北の文学」と自嘲しているわけだが、冒頭に書いた状況を体験した現在となっては笑えない。

右翼でも左翼でも、真ん中から外れた人々は、いかに教養高く生き暮らしていても本音では寂しいのである。つまり、仲間や認めてくれる理解者を欲している。だからたとえば、自らの長年の信条の誤りが明らかとなり、その信念がガラガラと崩れ去る今回のような危機に陥ると、あっさりとオカルトに「落ち」る。

前述の対談本で鈴木邦男氏は、公安が対象を籠絡する際は、相手が犬好きなら犬好きを装うなど趣味から入って信頼させる、とその手口を紹介しているが、これもそうした心の隙を突いているのだろう。

新聞社の社会部部長を演じる三浦友和が、新聞はそんなに偉いのかと食って掛かる主人公に対して「そうだよ、偉いんだよ」と凄むシーンは本作の見せ場の一つ。このやりとりで観客は、主人公と革命家の政治ごっこの稚拙さ、その暴走度合いをいやおうなく自覚させられる。そこがポイントである。

こうした過去話というものは、「かつて僕たちはこうでした。それなりに頑張ってました、てへへ」では仕方がない。シンパシーを感じられる同世代観客が楽しめるだけでは凡作であり、私としても高く評価はできない。これまで正当な評価をされなかった過去だから、今のうちに映像に記録したいというだけでは自己満足と言われてしまうだろう。

だが幸いにして『マイ・バック・ページ』は、似た過ちを繰り返す人々が目の前にたくさんいるという、偶然の社会情勢によって2011年の今、存在する意義を得た。

山下敦弘監督はこの時代を知らない若い世代の監督だし、意図的にそうしたつくりにしたわけでもないだろう。だがそんなわけで、社会問題に興味ある映画ファンなら本作をそれなりに味わうことができる。

ただそれでも、この時代の出来事や新左翼運動などに特段興味がない、たとえば主演二人の共演だけを楽しみにくるようなライトユーザーには、私はこれをすすめない。そういう人たちが気楽に楽しめる映画では全くない。

本と映画と「70年」を語ろう (朝日新書 110)
記事中で紹介した対談本はこれ。
マイ・バック・ページ - ある60年代の物語
原作本はこちら。


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