『最後の忠臣蔵』75点(100点満点中)
2010年12月18日(土)、丸の内ピカデリー他 全国ロードショー 2010年/日本/カラー/133分/配給:ワーナー・ブラザース映画
監督:杉田成道 脚本:田中陽造 原作:「最後の忠臣蔵」池宮彰一郎(角川文庫刊) 出演:役所広司 佐藤浩市 安田成美
≪日本人のアイデンティティー的な題材だが、どこか米映画的≫
日本人はマンネリ大好きな民族である。ウルトラマンはカラータイマーが鳴るまでプロレスでいうセール(客を盛り上げるため攻撃を受け続けること)状態をやめようとしないし、水戸黄門もしかり、だ。規定通りの結末が待っているから、安心してみていられる。
年末になると、そんなマンネリリストに忠臣蔵が登場してくる。マニフェストにマの字も書いてない消費税アップを言われても、非実在青少年漫画を規制されても、お上の言うことならばと我慢し続ける忍耐深い民族にとっては、法を破ってでも筋を通す四十七士は憧憬の存在。そこにシビれる憧れるゥの世界だ。当然、彼らの物語は最高のうっぷん晴らしとなる。
とはいえ『最後の忠臣蔵』は、いわゆる史実の忠臣蔵とはかなり違う。あの話の後日談を描いた、ユニークなフィクション作品である。
吉良邸討ち入りから16年、四十七士の中で唯一切腹せずに生き続け、ひそかな使命を遂行していた寺坂吉右衛門(佐藤浩市)は、あるとき親友で討ち入り前日に逃亡した瀬尾孫左衛門(役所広司)を偶然発見する。裏切り者のそしりを受けつつ、彼もまた主君、大石内蔵助の隠し子、可音(桜庭ななみ)を守り続けるという密命を16年間にわたり果たしてきたのだった。そして孫左衛門はいま、年ごろになった可音のため、彼女が幸せに暮らすための良縁を探していた。
死んだ主君の娘を立派に育て上げ、嫁がせる。それが主人公の目指す、死んだ仲間たちへのケジメである。そのためだけに彼は、自分の人生をすべて犠牲にして生活の糧を稼ぎ、この娘に教養を与えてきた。その上、イケメン息子のいるお金持ちの家に行って、それとなく営業活動をしてくれたりもする。世のアラフォー婚活女性がみたら、のどから手が出るほどほしい忠臣といえる。別にアラフォーでなくてもいいのだが。
寺坂吉右衛門の逃避行から描く原作とは少々異なり、映画はこの二人の疑似父子関係に焦点を当てた感動ドラマなっている。しかしありがちな親子愛のチャラい話ではなく、真の泣き所はきちんと忠臣蔵ファンを満足させる形になっているから心配はない。
このコンセプトは、重厚なセットや美しい照明、劇伴音楽、役者の好演によりほぼ成功している。ただ、娘と主人公の関係があまりに濃厚すぎて、その行く末がどうにも……という感じも否めない。大石さん、ちゃんと結婚後の瀬尾さんの事も考えといてやってくれよと言いたくなる。だいたい強がってはいるが、いかにもか弱そうなあの娘の今後が、いち観客としては心配になってしまう。
とはいえそれはただの愚痴で、作品の良さをマイナスするものではない。主君死すとも忠義を果たす。そんな忠臣蔵のテーマを、ちゃんとこの作品は踏襲している。
本作品は大ヒット作「デスノート」シリーズの配給でウハウハボーナス状態のワーナーブラザーズが、勢いに乗って企画から制作までやってしまった日本映画。いまどきはハリウッドのメジャー映画会社も、アメリカ映画を配給するばかりではなく、相手国の映画を作って公開するパターンが当たり前になっている。だいたい最近の映画会社は映画会社とは名ばかりで、自分で映画をほとんど作っていない。こうした原点回帰も悪くはなかろう。
とくに評価したいのは、彼らがハリウッドの映画作りを取り入れた点で、中でも20人以上で検討、修正したという脚本重視主義は、他の日本映画にも真似してほしいところ。完成前に試写会を行い、結末などについて意見を収集する試みも邦画としては相当ユニークである。大作娯楽作には、こうした手法は有効だろう。
ハリウッドの良さを取り込んだ日本映画として、『最後の忠臣蔵』はなかなかの出来栄え。多くの人が、そこそこの満足を得て帰路につける。鑑賞後感もなんだかハリウッドの娯楽作品のようである。