『人生万歳!』70点(100点満点中)
Whatever Works 2010年12月11日、恵比寿ガーデンシネマ他にて全国順次ロードショー 2009/アメリカ/ビスタ/SDDS/91分 配給:アルバトロスフィルム
監督・脚本/ウディ・アレン 出演:ラリー・デヴィッド エヴァン・レイチェル・ウッド パトリシア・クラークソン

≪監督40作品目は笑いと皮肉が効いた佳作≫

『人生万歳!』は、例によって監督のウディ・アレンらしさがつまった最新作だが、近年ではかなりの佳作だ。しかしこれは、アレン映画をあまり意識してみたことのないライトユーザーに対して、の意味合いが大きい。

自称天才物理学者だが今は落ちぶれ、さえない日々を送る男ボリス(ラリー・デヴィッド)。ある日彼は21歳の家出娘メロディ(エヴァン・レイチェル・ウッド)を、ひょんなことから自分のぼろアパートに泊めてやることに。偏屈で神経症的なボリスは、能天気なメロディの無教養ぶりにあきれ返るが、成り行きからそのまま同居生活を始めることになってしまう。

偏屈な独身ジジィの家に、金髪巨乳ギャル21歳が転がり込むなど、日本のエロ漫画の世界であるが、それを無理なく軽快な実写コメディーに仕立てる手腕がまさにアレン節。冒頭にカメラに向かって登場人物が語りかける倒錯した演出を取り入れることで、その先に待ち構えるこのエロゲ設定の突飛さを希釈、すんなり観客に受け入れさせてしまう。

そこから先はおバカな天然娘と毒舌爺のボケツッコミ漫才コントが延々と続くが、これがキレ良く大爆笑。女の子らしいちょっと悲しい初体験の思い出も、日々の悩み事も、ボリスにかかれば全部ぶった切りだ。その全否定ぶりが楽しい。

そのくせ、やがて(自分では決して認めないが)彼女のほがらかさにひかれ、メロディへの評価がどんどん上がる様子は、微笑ましいロマンティックコメディーそのものである。

もっともそれだけで終わるならば、主人公同様偏屈な観客には物足りない。

『人生万歳!』が愉快なのは、キリスト教右派やそれに支持された南部出身の某大統領をユダヤ人の監督が(古巣のNYを舞台に)チクリと皮肉っている部分。南部の保守家庭出身の田舎娘メロディが都会に家出する設定は、そうした事の比喩である。

右翼チックな登場人物が、その正反対へと転向する展開が執拗に繰り返されているのも、ギャグであると同時に政治的なおちょくり感が感じられて小気味よい。

そしてそう考えると、この作品で最も重要なセリフ「すべての愛、幸せは束の間だ、だが……(以下は劇場で)」に、もうひとつ裏の意味が込められているのもわかるはずだ。たとえば「愛」を「平和」に置き換えれば、その意図するところは明白である。

この思想、主張はすなわち、愛や平和の幻想(「二人の愛は永遠よ(はーと)」といったもの)を否定する現実主義の立場に立ちつつも、愛や平和の価値を認めているわけで、個人的には強く共感した部分である。

逆に、そうしたものの甘い幻想を盲信してしまうと、人は不寛容になるのだとアレンは伝えている。愛ならばそれは破局となり、平和ならばそれは某大統領が行った大戦争への道になる。平和やら民主主義やら、口当たりのいいものを神格化すると、現実との矛盾を隠すためにいろいろ無理をやらなきゃならないんだよと、そういうわけだ。

笑いと皮肉の利いた、これぞアレン映画の魅力。その切れ味はここ最近では見られなかったほどのもので、数年ぶりに舞台をNYに戻して撮影しただけのことはある。

とはいえ、年の離れた小娘とじいさんが恋する話というのは、ウディ・アレンファンから見るとちょいと生々しすぎて引き気味にならざるをえない。アンタはいつまでロリ美少女を追いかけるんだよと、思わず突っ込みたくなる。純粋にこの映画を楽しむには、アレン好きでないほうがいいよというのは、そういう意味だ。

なお記念すべきこの監督40作品目。ユニクロが舞台として登場するのも話題。米国出店の際、あえてカタカナのロゴにしたのは、そのほうがクールだからだそうだ。なるほど、アレン映画の中でアピールするあたりにも、彼らが米国進出でどういうファッションブランドを志向しているかがわかるようで興味深い。

ちなみにこの映画、予告編はひどいネタバレを含むので、できることなら見ないほうが良い。せっかく来てくれるお客さんに予告編で結末まで見せて、満足度をわざわざ下げるようなマネをするとは何事であろう。最近、こういうのが多くて困る。可能な限り、このサイトでは警告していきたいと思っている。



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