『SPACE BATTLESHIP ヤマト』30点(100点満点中)
2010年12月1日公開 全国東宝系 2011年/日本/カラー/138分/配給:東宝
監督・VFX:山崎 貴 原作:西崎義展 脚本:佐藤嗣麻子 出演:木村拓哉 黒木メイサ 柳葉敏郎 緒形直人 西田敏行
≪CGがリアルで人間がマンガ≫
1日公開の映画を12日の今頃になって紹介するのもなんだが、この作品に多くのリクエストがあったのは事実である。さすが邦画の冬の話題作ナンバーワンとして、それなりの大ヒットスタートをしただけのことはある。大勢の人がぶった斬、いや的確な批評を求めているという事だろう。
私としても毎夜のように続く忘年会のダブルヘッダーのさなか、灰皿にテキーラを入れられたせいか少々ウェブ更新のペースが滞ってしまったが、やはり本作だけは書いておかねばならないと自覚した次第である。
ときは2194年、謎の異星人ガミラスからの放射能攻撃により、地上は壊滅。宇宙艦隊戦でもあえなく敗れた人類は風前のともしびであった。そこに謎の惑星イスカンダルから、ワープ航行エンジンの設計図を含むメッセージが届く。偶然その現場に居合わせた古代進(木村拓哉)は、人類最後の希望たる宇宙戦艦ヤマトの乗員に志願。ある因縁がある戦闘機パイロットの森雪(黒木メイサ)と対立しつつも、遠きイスカンダルへと旅立つのだった。
もう公開されているので結論からいうが、本作はある意味予想を裏切らない仕上がりである。つまり、主演キムタク、相手役メイサ、佐渡先生(医者)に高島礼子というキャスティングから(コンセプトを)察しろよ、という事である。あれは親切な、制作サイドからのメッセージだったのである。ただしイスカンダルからのそれとは違い、お得な設計図のオマケはついてこない。
だから観客は、「アニメ版で味わった熱い冒険心や、少年時代にうけた感動の再現」を期待して映画館に出かけては、当然いけない。
ネクタイとシャツの第一ボタンは外し、パンツのポケットに片手を突っ込んでニヒルを気取りつつ「お、あの役をこんなやつがやってるのか、こっちの役はこいつか。おお、このシーンはこんな風に変えちゃうのか、ファンが怒るぞ、大胆だねぇ」などと心で突っ込みつつ、大人の余裕でそうした意外性を楽しむべく努力するのが無難である。
そうした多少の努力と1800円があれば、この映画を楽しむことは十分にできる。くれぐれも、「CGがリアルで本物の役者がマンガチック」などとくだらない事を言ってはならない。各メディアの取材に、そうコメントした批評家も中にはいるという話だが、嘆かわしい事である。
そんなわけで、古代進は古代進の服を着たキムタクと思うことで最初の関門「キャスティング」はクリヤーできる。
だがどうにもまずいのが、毎度おなじみ脚本である。イスカンダルに近づくと原作と内容が少々(といっていいのかどうかはあえて書かないが)離れていくが、それは映画ならではの主張だろうと好意的に解釈もできる。
だが、仮にも軍艦の乗組員たるものが、あんなに危機感なさすぎというのはよろしくない。
人材不足の中での寄せ集めとはいえ、彼らには人類最後の砦としての自覚がなさすぎる。なにしろ航海が始まると、ワープ→ウキウキし始めて油断→持ち場がおろそかになる→そこに敵の攻撃を受ける→あわてながらもなんとか回避→最初に戻る の繰り返しなのだ。
観客は、ヤマトがワープに入るたびにやがて既視感を覚える。「敵です! 攻撃されています!」とクルーが悲痛に叫ぶたび、いい加減に学べバカと叫び返したくなる。
また、自称白兵戦のプロの戦い方もひどい。大量の敵に囲まれ、バカスカ一斉射撃を受けているというのに、わざわざ自分から射線上に飛び出し両手に抱えた小銃を狙いもつけずに撃ちまくる。ヤク中の自殺志願者じゃあるまいし、なぜせっかく安全な遮蔽物の陰にいるのにそこから反撃しないのか。見ている側にはさっぱりわからない。死のうが生きようが、そんな男に感情移入などできるわけがない。これぞアニメでは許せても、実写ではありえない絵作りの典型である。こういう個所を変更なり改良するのであれば、大歓迎なのだが……。
映画の観客というものは、愚か者のキャラクターが大嫌いなのだ。だから作り手は、登場人物がそう見えぬよう、フォローしなくてはならない。このシーンとて、遮蔽物が崩壊してゆくショットを一つ挟みさえすれば、飛び出す行動にも説得力が生まれる。無謀なバンザイ突撃だって、見せようによってギャグにも感動シーンにも変わるのが映画というもの。だから、なおさらに慎重かつ丁寧な演出が必要になる。
宇宙だろうがアニメだろうが、一応戦艦の話だというのなら、最低限の軍事的なリアリティを維持してほしいというのが私の実写化に対する希望、考え方である。CGの色合いではなく、そういった背景、設定面、脚本面でのディテールにこだわっていれば、キムタクだろうがメイサだろうが、もう少しいいものが出来たのではないか。