『玄牝 -げんぴん-』70点(100点満点中)
2010年11月6日(土)よりユーロスペースにてロードショー、他全国順次公開 2010年製作/日本/ドキュメンタリー/92分/カラー/35mm・HD/DTSステレオ/配給:組画
スタッフ 監督・撮影・構成:河瀬直美 音楽:ロケット・マツ(パスカルズ) プロデューサー:内藤裕子 出演:吉村正 吉村医院に関わる人々

≪河瀬直美が自然派出産医院を描くドキュメンタリー≫

河瀬直美といえば、カンヌ映画祭でグランプリ(「殯(もがり)の森」)を取るなど華々しい実績を誇る映画監督だが、過去の巨匠らにさえ遠慮せぬ物言いで、映画マニアからは意外と批判されがちだ。ようするにもっと謙虚になれという意味なのだろうと思うが、私にいわせればそのオレ様ぶりこそがこの監督最大の武器であり、魅力だ。それを批判するとは的外れもいいところ。大物に遠慮するような小心者など腐るほどいる。河瀬監督は、そうでないからこそいいのだ。彼女にはこれからも何も変わらず、誰にはばかることなく撮ってほしいと願っている。

さて、彼女の映画はそんなわけで一般的には非常にとっつきにくい。これまでの作品の中で、正直なところ万人向けに手放しですすめられる映画はほとんどない。しかしこの『玄牝 -げんぴん-』は違う。自然派出産を表掲するある産婦人科医院を取材したこのドキュメンタリーは、(彼女が見つけたのではなく)外部から依頼された企画、被写体だったからこそ成功した珍しいパターン。

つまり、監督に被写体への過剰な思い入れがなく、ある意味突き放した距離感があるからこそ、自然派出産のプロモーションに堕すことなく、それなりに中立的な視点を保ったままその魅力を伝えることに成功している。私はこの作品を、河瀬映画アレルギーの方を含む一般のお客さんにも広くすすめたいと思っている。

舞台となるのは愛知県の岡崎市にある吉村医院。医院に併設した日本家屋で、妊婦たちに家事労働をさせることで安産を目指すという、自然派志向の産婦人科だ。そこで妊婦たちは、臨月になっても結構な重労働にいそしんでいる。洗濯機や掃除機に囲まれ、もはや家事が肉体労働ではなくなった現在、ぞうきんがけやマキ割りなどをおなかの大きい女性たちが平然とこなしている様子は、見る者を驚かせるだろう。

近年でこそ、(安静ではなく)運動こそが安産のキーポイントであることは常識となっているが、この医院では昔からこうした指導を行ってきた。出産時も陣痛促進剤はもちろん、会陰切開などの医療介入はほとんど行わない。

「安全性第一」がいつのまにか「母子の命さえ救えば文句はなかろう」になりかねない一般の医療施設ではおろそかにされがちな、「産む喜び」「産む快感」を味わいたい女性たちが、全国からここにやってくる。

そんなこと百も承知よという自然派マニアなあなたにも、吉村正院長の内面に迫ったこの映画は必見である。著書を読んでるだけではわからない、その苦悩と悩める姿。私にとって一番の収穫もそこであった。吉村医院マンセーな監督では、ああいうシーンは撮れなかったろう。

人間の一生は試練の連続である。その第一歩、誕生の試練すらくぐ抜けられぬような命では仕方がない。そんな価値観で、死産すら受け入れるこの病院(とそこに集まった妊婦たち)は、ごく一般の日本人の目にはどう映るだろう。安全と生を至上とする価値観に凝り固まった目では、到底理解できないかもしれない。

だから医療出産派と自然出産派の議論は、永遠にかみ合わないのが常。後者は前者を理解はできるが、前者は後者を理解できない(したがらない)。だいたいそんな感じだ。我が国の周産期死亡率の低さを見て満足しているような人々には、ここに出てくる人たちの悩みや目指すものはまず見えてこないだろう。

逆に、多少なりとも出産時の医療介入に疑問をもつ人にとって、この映画は多くの示唆と感動を与えてくれる。最大の見どころは、ある女性が幼い長男を立ち会わせる出産シーン、そして、医療介入により与えられたトラウマを打ち明けるある女性のシーンである。

撮影時間に制限のあるフィルムカメラを使いながら、こうした貴重な一瞬を逃すことなく切り取る河瀬直美監督の実力はあなどれない。瞬発力とセンス、強運、そしてある種の図々しさのようなものがなければ、決していいドキュメンタリーは撮れない。私は常々そう思っているが、『玄牝 -げんぴん-』はまさにその鑑というべき傑作である。



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