『ソウ ザ・ファイナル 3D』30点(100点満点中)
Saw VII 2010年10月30日(土) TOHOシネマズ六本木ヒルズ ほか 全国ロードショー 2010年/アメリカ/カラー/90分/配給:アスミック・エース エンタテインメント
監督:ケヴィン・グルタート 編集/脚本:パトリック・メルトン、マーカス・ダンスタン 出演:トビン・ベル ケアリー・エルウェズ コスタス・マンディラー ベッツィ・ラッセル ジ―ナ・ホールデン

≪もう何も残っていない≫

興業的に、ホラー映画史上もっとも成功したシリーズということでギネス認定されたソウシリーズもついに7作目。「一応」完結編ということになっている。記事内容は前作以前のネタバレを含むので、ご了承のうえ、お読みいただけたらと思う。

こんな断り書きを入れるのも、このシリーズの内容が全作通じて複雑に絡み合い、伏線を張りまくった構成になっているからだ。ネタバレなしに紹介するのは不可能に近い。

だいたいホラーシリーズなんてものは、数を重ねればニューヨークにいったり宇宙にいったり超能力少女と闘ったりと、やけっぱちのようなシリーズ展開になることも珍しくない。そう考えると、緻密なひとつの物語を紡ぎ続けるこのシリーズは大したものだ。

ともあれ、そんなわけで本作からの途中参加は事実上不可能、1作目から面白い面白いとはまった人にのみ、この7作目を見る権利がある。上映はシリーズ初、流行のデジタル3Dで行われる。新味ある映像技術を取り入れるのは、3作目で同じく立体映画に挑戦した「13日の金曜日」の例を挙げるまでもなく、ホラーシリーズにとっては必然だ。

殺人鬼ジグソウ(トビン・ベル)による一連のゲーム殺人は、世間を恐怖に陥れた。なかにはボビー(ショーン・パトリック・フラナリー)なる男のように、ジグソウの「ゲーム」から生存した体験談を書籍にして、莫大な富を得る者もあらわれる始末であった。そんな中、ジグソウの後継者を自負するホフマン刑事(コスタス・マンディロア)は自分を陥れたジグソウの妻ジル(ベッツィ・ラッセル)の命を狙い続けていた。ジグソウの残したものは、生存者や後継者たちにどんな結末を見せるのだろうか。

今回もシャレにならない「いのちのお勉強ゲーム」から始まる。これまでの作品で、OJTや事前準備の地味さ、大変さを知っているファンは、あんな場所にこんなバカげた装置を設置する苦労が目に浮かび、思わず笑いが出てしまうだろう。いったいどこから資材を仕入れているのか。納品書には「オーダー拷問具一式」とか書いてあるのか。

とはいえ映画自体は相変わらずのユーモア排除、滑稽さや笑いは一切ないストイックな残虐路線だ。超ワンパターンなのにお茶目さはなく大まじめ。もはや、そこにある種のイタさを感じてしまうのは私だけか。

少なくとも、誰一人共感できるキャラクターが出てこないこの最新作で、観客が「恐怖」を味わうことはないと思う。どうでもいい奴が変な死に方をするだけのキモチワルイ映像大会になっていて、勝手にやってくれとしか思えない。つまり、傍観者として相当離れたところからスクリーンを眺めるほかないのである。「怖くない」とは、恐怖映画としては最大の欠陥であろう。

綿密なストーリーの絡み合いを楽しむ論理遊びとしての魅力を堪能するため、今回は上映前に4分ほどの「ソウ集編」が上映される。これで前作までのおさらいをしてくださいという、親切な趣向である。

だが、狙いはよかったのにこの総集編の出来が極めて悪く、見ても各作品の核心部分があいまいなままだ。中途半端にネタバレを避けるような配慮など必要ない。最初に書いたように、この最新作からの途中参加は無理。全観客が前作までの鑑賞は済んでいるとの前提で作ったらよかった。

内容については、緻密なソウシリーズらしからぬ突っ込みどころが目につく。なにしろ誰もが思うことは、肉より強いものを下半身にはいているだろというコトだろう。

売り物のどんでん返しの威力は、もはやほぼゼロ。結末も潔くない。3Dもとってつけたようなもので、その技術をソウらしい論理性、トリックに利用するようなアイデア性も皆無。

スピード感とテンションの高さだけはさすがに健在だが、もはや美点はそれだけだ。シリーズの中でも出来は最低。ギネス記録を生んだ芳醇な地下水も、7作かけて完全に吸い尽くされた印象だ。

なんにせよ、よくぞここまで引っ張った。その気になればまだ絞り出せそうだが、さすがにもう限界ではないか。スタッフのみなさんには長い間お疲れ様と言っておきたい。



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