『桜田門外ノ変』75点(100点満点中)
2010年10月16日(土)公開 2010年/日本/カラー/137分/配給:東映
監督:佐藤純彌 プロデューサー:岡田裕、若松徹 脚本:江良至、佐藤純彌 出演:大沢たかお 長谷川京子 柄本明 生瀬勝久 加藤清史郎 西村雅彦 伊武雅刀

≪愛国者たちの潔い最後を描くせつない時代劇≫

先日、尖閣諸島に色白な船長がやってきて、喧嘩上等とばかりに海保船に特攻を仕掛けてきた。こうした事態に対し、政治家はどう対処すべきなのか。穏健にコトナカレ主義に徹するのか、3倍返しじゃコラァと受けて立つのか。

どちらが正しいのかは、その時点では誰にもわからない。未来から振り返った時、ああすべきだったかもしれない、とわかる程度のものである。たとえその時はおかしな選択だったとしても、それが後々生きてくるなんてケースは腐るほどある。政治とは、常に謙虚な目で分析していきたいものである。

そんなわけで、歴史上の事件を描くとき、片方を一方的な悪として描くようなドラマは安っぽくなりがちだ。謙虚さを捨ててまで片方に肩入れする描き方は、それはそれで熱いものがあるが、常にこのチープ感が付きまとうリスクと隣り合わせとなる。

桜田門外の変とは、水戸藩、薩摩藩出身の浪士たちが、ときの権力者・井伊直弼の暗殺をはかった事件。なぜそんな事件が起きたかといえば、ペリー来航にはじまる外圧に対し、日米修好通商条約のような不平等条約を結ぶなどずるずると開国に追い込まれた政府に対し、外人喧嘩上等(攘夷派)の武闘派たちが怒り心頭に発したためだ。

俺らより強ぇ外人さんに文句いえるわけねえよ派と、妥協したら一生なめられるんだよ派。どちらが愚かで、どちらが正しかったのか。それは今でも解釈が分かれる問題かもしれない。

映画『桜田門外ノ変』では、どちらも愛国者であり、国益のために必死だった。だが、方法論の違いで最後は争うことになってしまったという視点を採用する。

1853年、浦賀沖にペリーの黒船が来航。これにともない南紀派(徳川家茂を推し、外交は開国路線)の井伊直弼(伊武雅刀)らは、反対する水戸藩主・徳川斉昭(北大路欣也)ら一橋派(徳川慶喜を推し、外交は外国人武力排除路線)を粛清(安政の大獄)するなど、強硬的な政策を推し進めていく。

こんな時代背景が、やがて水戸藩の関鉄之介(大沢たかお)を中心とする暗殺実行部隊の組織へとつながる。彼らが起こした暗殺事件を「桜田門外の変」と呼ぶ。いわばテロの話だから、というわけでもなかろうが、映画化の題材としてはそれほど人気のある史実ではない。

しかし、日本の隣に次期覇権国家候補の最右翼・中国が台頭。黒船来航時なみの歴史的岐路に日本が立たされている現在、当時国内でおきた政治的試行錯誤を振り返ることは無駄ではない。

それどころかこの映画で描かれる「歴史」の中には、多くの示唆に富んだ興味深い現代との符合を見て取れる。映画化のタイミングとしては、一番適していたかもしれないと私は思う。

今年2010年は時代劇が大人気で、年末にかけてこれから何本も公開されるが、前述のとおり時代にマッチしたテーマ性、役者たちの名演、重厚な桜田門のセットをはじめとする美術のレベルの高さ、そしてストーリー構成の斬新さにより私は本作品をオススメの筆頭にあげる。

最後に挙げた構成の巧みさとは、一言でいえばクライマックスの暗殺事件を映画の冒頭に持ってきたことを指す。エンターテイメント大作を任せられる数少ない日本の巨匠、佐藤純彌監督の手腕は今回冴えに冴え、この構成によって物語の感動、せつなさが大いに強調された。

目をみはる迫力の襲撃シーンで客席の心をわしづかみにして、こんな大変な事件を命がけで起こしたキャラクターたちに対して興味を抱かせる。その後、じっくりとその事件に至るまでの流れを、生存者の逃亡劇と並行して描く。

だれもが知っている史実であっても、こうすれば映画の最後までスリルと興味を持続させることができる。

グダグダと前ふりばかりが長く、肝心の事件が起きる最後の20分あたりまで引っ張りまくる、どこかの局のボクシング中継のような歴史映画が乱造される中、これはうまいやり方だ。娯楽映画の作り方を知り尽くした佐藤監督ならではのサービス精神、アイデア力には脱帽である。やはり、ベテランになっても頭の柔らかい人は違う。

それにしても、いったいどういうラストにするのだろうと心配しつつみていたが、なるほどこう来たかと感心させられた。これは日本人の心にダイレクトに響く締め方だ。中国人歌手alanが歌う主題歌がまた映画の雰囲気にぴったり合っていて涙を誘う。

映画が終わった後に、冒頭の捨て身の襲撃で命を落とす男たちの最後の姿が目に浮かび、あとからじわじわとくるタイプの感動を味わえる。

昔の日本には、気持ちのいい奴らがたくさん生きていた。政治に携わる者たちも本気で国の未来を憂い、自分の立場なりに最善を尽くそうとしていた──。

たとえ脚色による錯覚、ファンタジーであったとしても、そんな気持ちをしばし味わうのは悪いものではない。

正義と悪の戦いではない。それどころか、互いに憎しみ合っているわけでもない。それでも人と人は、命のやり取りでケジメをつけねばならない時がある。関鉄之介が追手との一騎打ちの申し出を受ける際、刀を借りたある人物に言うセリフ、それがこの物語の核心を象徴している。これぞ武士道、日本の心。そんなドラマを見たい人にはオススメの傑作時代劇である。



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