『大奥』40点(100点満点中)
2010年10月1日(金)丸の内ピカデリー他全国ロードショー 2010年/日本/カラー/116分/配給:松竹、アスミック・エース
監督:金子文紀 原作:よしながふみ 脚本:高橋ナツコ 出演:二宮和也 柴咲コウ 堀北真希 大倉忠義 中村蒼 玉木宏(特別出演)
≪傑作になりそびれた秀逸設定の時代劇≫
先日、尖閣諸島で中国がちょっかいを出してきた。こんなものは恒例の中華プロレス興業にすぎないわけだが、ここで日本側が相手も仰天するほどの早さで船長お返しカードを切るという、相撲でいう肩すかしを食らわせた結果、世界中が日本に同情、今や中国が世界の悪者として孤立してしまった。
誰もがあの時の日本政府の弱腰対応を批判し、たぶんカードを切った本人もろくに考えもせずやったような気もするが、結果的には良手となったわけだ。
だいたい中国政府の反日的態度は、国内の猛烈な格差社会における底辺層(貧乏人)の不満を、自分たち(北京政府)から外部(=日本)にそらすためのポーズであることは常識。本音では経済成長に不可欠な日本と仲良くしたいのだ。チャイナドレスをきたツンデレ少女(黒髪ロング)の姿を想像すれば間違いはない。
そんなツンデレ少女のいつものワガママに、本気で怒ってケンカ腰になればどんな悲劇が起こるか。どうせ国際世論は口のうまい少女に騙され、いつの間にやら日本くんが一方的に悪者にされるのは目に見えている。運よく腕力(軍事力)で勝てたとしても、周りから悪者扱いされたら肝心の商売ができなくなってしまう。
この点、口下手な日本くんが、口のうまいチャイナ少女とケンカして勝てるわけがない。この問題で頭に血が上ってしまった人たちは、世界一口のうまいUSA番長の策略で世界の悪者にされた上、コテンパンに叩きのめされた真珠湾の教訓を学ばねばならない。
まずは、ツンデレ少女に言い負けないくらいの口のうまさを磨くのが先決。それが無理なら、バブルがはじけ、いつかチャイナ少女の容色が衰え世界から相手にされなくなるのを待てばいい。どうせアチラは長年の一人っ子政策のせいで、遠からず高齢化社会になる運命だ。日本としては、灯台一本だろうと粛々と守り続けて50年単位の長期戦に持ち込むのが現実的な戦略だろう。
そんなわけで何が言いたいかというと、女性はオトコよりずっと強い。
きっと女性が社会の中枢を担うと、男はもう立場があるまい。幸い(?)にしてそんな社会はまだ登場していないわけだが、フィクションの中でそれをやってみたのが、よしながふみの漫画を実写化した「大奥」。長いうえに毎度強引な前ふりだが、ここからがお待ちかね、ようやく映画の話題である。
江戸時代、若い男子だけがかかる伝染病により江戸市中の男性人口は激減。男女の役割は逆転し、肉体労働をふくめ外で働くのは女性ばかりという社会が出現した。将軍家も女子が継ぐようになり、八代将軍にも聡明の誉れ高い徳川吉宗(柴咲コウ)が選ばれた。当時、江戸城の大奥には3000人とも噂される美男子が集められていた。伝統的な武士道を追及する剣士、水野祐之進(二宮和也)は、困窮する実家を救うため、将軍の寵愛を求め熾烈な争いを繰り広げるそんな「男の園」へと身を投じるのだった。
「木更津キャッツアイ ワールドシリーズ」等で知られる金子文紀監督は、これだけのトンデモ設定をみて、逆に演出は本格的な時代劇のそれで行こうと決心した。もちろんその方針は正解で、おかげで20分も見ているとまったく違和感はなくなり、普通の時代劇のように楽しむことができる。SFというものは、一つの大ぼらの波及効果を楽しむため、その他のリアリティには普通以上にこだわるのが王道である。
柴咲コウ将軍の初夜?のお相手探しの儀式など、一歩間違えばエロエロ官能ドラマになりそうだが、これはジャニーズファン層を喜ばせる女性向き映画。もちろんそんな展開にはならない。気持ちいいほどに、オトコを喜ばせるエロシーンはない。
個人的には唐突に、まるで当然のように男女逆転のドラマを開始し、観客の違和感が消えたころに伝染病のネタばらし、というパターンも見てみたかった。冒頭から「なんなんだこの世界は?」と、しばらく観客を混乱させてままにしておけば、原作未読者はより物語に引き付けられたことだろう。いきなり言い訳のように伝染病の説明から入るのは、映画としてはあまりに不器用すぎる。
この物語で残念なのは、80年間もこの男女逆転状態が続いているというのに、ほとんど現実の歴史と変化がないという点。男のやっていることを女がやっているだけで、いくらなんでもそれはないだろうという無理な部分が多数目につく。
さらにいえば、この設定で本当に面白いのは大奥を含めた古臭い慣習を、女性たちがぶち壊したあとの世界だろう。男系社会だから多数の側室を集めた大奥などが必要だったのであり、男女逆転すればそもそもその必要はない。
男女逆転により、革命的な変化が起きる痛快歴史シミュレーションをやるならば、やはり「大奥」後こそがもっとも描くべきところだ。そこを一切描かず、観客に想像させて終わりというのはあまりに不親切。作り手が必死に考えた「もう一つの日本」を描いてみろと私は思う。それが、現在の日本より魅力的なそれならば、テーマも明確になったはずだ。
この映画を最後まで見ても、このあとの日本がよくなるようには思えず、あまり面白みのない未来になりそうな印象すら受ける。だがそれでは、「やっぱり女社会じゃだめだな」となってしまう。これでは、映画が本来言いたかったテーマとは正反対でないのか。
結局、大奥というシステムの閉塞感、時代おくれ感をしっかり描けていないから、たんなる男女逆転の物珍しさだけで終わっている。女を男に変えたことで、よりその二つが際立つエピソードを脚本家たちは頭をひねって考えなくてはいけなかった。
それをやっていれば、あのラストの爽快感は倍増し、現代につながる男社会への問題提起にもなる。
残念ながら現状では、イケメン受難の大奥にヤリチン天国の江戸市中、キワモノ映画の域を出ていない。高いポテンシャルを感じる作品だけに、残念至極である。