『悪人』75点(100点満点中)
2010年9月11日(土)全国東宝系ロードショー 2010年/日本/カラー/2時間19分/配給:東宝
原作:吉田修一 脚本:吉田修一、李相日 監督:李相日 音楽:久石譲 出演:妻夫木聡 深津絵里 満島ひかり

≪真の孤独を知る人におすすめのラブストーリー≫

尽くす女、と呼ばれる女性がいる。遠方に住む異性の友人から窮状を知らされると、いてもたってもいられず送金の準備を始めたり、明らかに身の立つ可能性のないロックミュージシャンを食わせる事に生きがいを見出すタイプである。外部から見れば、どうみても堕ちる一方なのになぜそんな事をするのか。

人を愛するものは、自分をも愛する。強い自己愛とプライドを持つ女性が本来得るべき幸福を得ていない(と感じる)場合、激しい孤独に見舞われるが、そこで自らの存在意義を実感させてくれる「ダメンズ救い」が癒しになるわけだ。

だが、はたして彼女たちは愚か者だろうか。私はそうは思わない。

いつか彼も良くなるはずよと信じて生きる彼女たちの純粋な心は、何よりも美しい。そもそも、ボランティア女だのNGO女だのと揶揄するような男たちは、一度でもそういう女性とつきあってみたらいいのだ。苦労したときに支えてくれる優しさに触れたら、どんなに幸せか。むろん、この序文は私の単なる個人的願望および妄想の一種であり、あまりのめりこんで読む必要はない。

さびれた漁村で、肉体労働をするワーキングプアの青年、清水祐一(妻夫木聡)。唯一の趣味のクルマに乗るとき以外は、親代わりに暮らす祖父母の面倒を見る日々。未来に希望を見出せぬそんな日常の憂さを晴らすように出会い系サイトで知り合った女は、しかし目の前で別の金持ち男の車に乗り去って行った。

さて、この主人公はやがて別のメル友(深津絵里)を呼び出し、強引にホテルに連れ込み、鬱屈した感情をぶつけるようにその体をむさぼる。そして彼女にある告白をする。自分は人を殺してしまったんだ、と。

ここからが切ない純愛ストーリー「悪人」の本題の始まりである。彼女は何を思ったか、なんと主人公をつれ、逃避行に出るのである。

出会い系サイトなんぞで出会った初対面の男に抱かれ、その告白を受け止めて逃げようとする。この女性の心理に私は強く興味を持った。

彼女は典型的な「尽くす女」だ。現状に満足しておらず、自分と社会のつながりを感じられず、強い孤独を感じている。そんな自分が、この男のためなら役に立てる、必要とされている。その一点、わずかな一点の喜び、幸福感のため、彼女は安定した暮らしも家族も、人間関係もすべて捨てて、反社会の闇へと身を投じるのだ。それも即座に決断して。

これほどの孤独、寂しさ、切なさを感じさせる物語があるだろうか。出会い系サイトという、近寄ったこともない人には単なる無機質でいかがわしい媒体を持ってきたところがまたうまい。だがその実態は、おかしな連中に交じり、この映画に出てくるような寂しい人々、心の優しい女性が大勢さまよっている。日々、多くのドラマが繰り広げられているわけだ。

このストーリーを突飛と感じたり、非現実的とみるような人にこの映画は向いていない。そういう人は、まだまだ本当の孤独を知らない幸せな人だ。ヒロインは、妻夫木聡がイケメンだったからついて行ったわけではもちろんない。

この女性の心を主人公は瞬く間に理解する。なぜなら彼も、彼女と同じタイプの人間だから。

そしてラスト、いよいよ破滅の時がせまったとき、主人公は恐るべき行動をとる。これには私も仰天したが、その結果は後日談のような静かなラストシークエンスをみればすべてわかる。彼は、それを彼女に与えるためにあんなことをしたのだ。

金も力もない男が、愛する女にしてやれる最大のことをした。これを愛といわずになんというか。思い出すだけでも、いまだに涙が出てくる。愛に生きる映画批評家としては、これに低い点数を与えるわけにはいかない。まして2度の濡れ場では深津絵里のきれいな横ムネまで見られるのだ。文句などあろうはずがない。

重層構造となった善意と悪意。それと違法合法がまったく対応しないことに、観客はやるせない思いを感じるだろう。誰が悪人で、だれが善人なのか。その答えを簡単に出せないところに、現実世界、そして法治社会の不完全さがある。

その矛盾を受け入れる器用さをもてず、ただただ必死に生きる弱者たちの姿に深く共感できる。そんな人の目に、本作は見ごたえのある傑作と映るだろう。



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