『キャタピラー』65点(100点満点中)
CATERPILLAR 2010年8月14日より東京・テアトル新宿、ヒューマントラストシネマ有楽町、シネマジャック&ベティ、ほかロードショー 2010年/日本/カラー/87分/35mm/配給:若松プロダクション
製作・監督:若松孝二 出演:寺島しのぶ 大西信満 吉澤健 粕谷佳五

≪寺島しのぶの演技と明快な主張が見どころ≫

この作品を語るとき、若松孝二監督は「反戦への思い」を常に強調していた。プロットは、戦場で負傷した夫が手も足も切断され、口もきけない「芋虫=キャタピラー」状態で戻ってくるというショッキングなもの。

そんなわけで私は、その後の悲惨な夫婦生活を描くことで、戦争の無益さ残酷さを訴えるような作品なのかなとおぼろげに想像していた。しかし映画『キャタピラー』のテーマは、まったくそんな次元のものではなかった。

時は戦時中。シゲ子(寺島しのぶ)の夫、久蔵(大西信満)は、幸いにして戦地から生還する。しかしその姿は、胴体と首以外は切断され、残った顔面の半分ほども焼け爛れており、声帯も耳も損傷しているという、恐るべきものだった。天皇陛下からは勲章をいただき、村人からは軍神とたたえられ新聞にも載ったが、シゲ子はどうしてもこの変わり果てた夫に慣れることができない。戦況とともに食糧事情も悪化の一途をたどる中、いったいこれから、どうやって暮らしていけばいいというのだろう。

さて、このあと何が起こるかというと、驚くべきことにこの芋虫男が妻の身体を求めるのである。死にかけといっていいほどに肉体のほとんどを失い、損傷している男が、旺盛な食欲と性欲を見せる。生の象徴たるセックスと、死のそれである戦争。その両極端を対比させる映画的ダイナミズムをまずは堪能できる。

苦りきった表情で夫の求めに応じる寺島しのぶは、ベルリン国際映画祭でみごと銀熊賞(女優賞)を受賞した見事な演技を見せる。脱いで身体をみせることなど当然、異様なまでのセックスシーンを、妻の複雑な心情が伝わるかのような生々しさで全部見せる。何度も何度も、上になったり下になったり、さまざまな体位でそれは繰り返される。

特筆すべきは、それまで戦中ならではの粗末な着物姿をノーメイクのやつれた表情でずたぼろに見せていた彼女が、はじめて夫とコトをすませたあとの表情。これぞこの女優の真骨頂ともいうべき、女の妖艶な微笑みを見ることができる。脱ぐと魅力倍増、というとなんだか安っぽいが、こういう顔のできる女優を使いたがる監督の気持ちはよくわかる。

さて、ここで少し観客は疑問に思う。「あれ、この奥さんなんだか嫌がってるけど、別にそんな不幸な事態じゃないじゃん」と。

当然である。若者がばたばたと戦死していたこの時代、生きて帰ってきただけでも僥倖。腕がなかろうが足がなかろうが、文句を言うのは筋違いというものだ。この主人公の姿を見て「戦争ってなんて残酷なの」などと単純に感じるのは想像力が足りない証拠のようなもので、普通の感覚でみれば「何をこの妻は嫌がってるんだ、むしろ神に感謝してもいいくらいだろ」と感じるのが当然である。

ましてこの夫には、ペニスもあれば思考する脳みそもあるのだ。恋愛というものは、究極的に言えばその2つがあれば成立する。子供だって作れるかもしれないし、心で愛し合うこともできる。簡単ではないだろうが、愛し合う夫婦が乗り越えられない障害ではまったくない。まして戦時中ならラッキーな部類といっても過言ではない。

ここで注意深い観客は、若松監督の仕掛けと意図に気づくのである。つまり、先ほどいった2つ、性器と思考能力をあえてこのキャラクターに残したという事は、この映画における「絶望」が「夫の姿そのものとは別の場所にある」という意味なわけだ。

逆に、監督が本気で戦争被害の悲惨さをこの夫婦(妻)に味あわせるつもりだったならば、その二つを真っ先に奪うはずなのである。その場合、私たちは寺島しのぶの綺麗なお尻や胸が見られなくなってしまい悲しいが、若松監督なら迷わずそうしていたはずだ。

だがそれをやっていないという事は、この夫婦はつまり、事前に観客が想像したような関係ではないという事である。ファーストシーンはその明快な答えとなっている。

それではいったい、なぜこの妻はこんなにも夫の姿を嫌がり、絶望のような表情、態度を垣間見せるのであろうか。

その回答はあえてここでは記さないが、ヒントは「軍神」と「勲章」にある。すなわち、夫は文字通り手も足もでない芋虫姿でもどってきたものの、真の意味で自由を奪われたのはじつは妻のほうであるという皮肉。それを若松監督はこの映画で描いているのである。

そして物語の最後、ある大事件がおきたとき、二人の表情は鮮やかに明暗が別れる。このときの寺島の顔に注目してほしい。この瞬間「絶望」は移動し、衝撃のラストシーンへとつながってゆく。きわめて論理的なストーリーである。

とはいえ、よく考えてみると二人のドラマはじつのところ戦争とはほとんど関係が無く、単なる夫婦の間のいち問題にすぎないように見える。戦争は確かに物語を動かすきっかけとなってはいるが、極端な話これがただの業務上の事故か何かであっても、同じやりかたで同じテーマを描くことはできるだろう。

そんなわけで、上手にまとまっているとは思うものの、監督が伝えたかったであろう「反戦争」のテーマはあまり感じられない。この点はきっと、想定外だったろうと私は思う。



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