『借りぐらしのアリエッティ』60点(100点満点中)
The Borrowers 2010年7月17日 全国東宝系ロードショー 2010年/日本/カラー/94分/配給:東宝
企画/脚本:宮崎 駿 原作:メアリー・ノートン「床下の小人たち 脚本:丹羽圭子 監督:米林宏昌 主題歌:セシル・コルベル「Arrietty's Song」 声の出演:志田未来 神木隆之介 大竹しのぶ 竹下景子

≪高品質ではあれど、どうもスッキリしない≫

スタジオジブリのアニメーション作品の質の高さはいまさら言うまでもないが、宮崎駿監督作品のとっつきにくさだけは別格だと私は思っている。ぱっと見そうはみえないものの、この監督の作品はきわめて作家性が強く、毎回解釈に頭を悩まされる羽目になる。それでも物語をおろそかにせず、若々しい感性と高い娯楽性を兼ね備えていたジブリ初期あたりまでの作品は良かったが、最近のものはどうもスッキリ楽しめないというのが私の大まかな印象である。

その点『借りぐらしのアリエッティ』は、ジブリの誇る実力派アニメーター米林宏昌監督の初監督作品。聞くところによれば、この監督は強い政治的思想性などを持たない人らしい。なるほど、それならジブリの美しい美術とアニメーション技術だけを、純粋に楽しむことが出来るだろう。私はそんな期待を抱いてこれを見に行った。

祖母(声:竹下景子)がお手伝いさん(声:樹木希林)と暮らす郊外の大きな家へ、心臓病の療養をかねてやってきた少年、翔(声:神木隆之介)。死と隣り合わせの日々をすごす感受性豊かな彼は、誰も気づかないような小人がこの家の中に住んでいることに気づく。アリエッティ(声:志田未来)という名のその小さな少女は、一家でこの家の地下に暮らしており、必要な物資を時折「借りにくる」事で生存していた。決して人間に見つかってはならぬという掟を破る形になったアリエッティは、思い切って翔に説明しに行こうと決意するが……。

人間側が言いだす「自然、多種族との共生」論の傲慢さ、困難さなど、それなりに豊かなテーマ性を持つドラマである。「所有」にこだわる現代人に対して、「借りもの」だけで暮らす小人の存在は、一種の社会批判にもなっている。原作はメアリー・ノートンの児童文学『床下の小人たち』で、映画化企画じたいは40年も前に立ち上がったという。なるほど、確かに宮崎駿が好みそうな題材である。美少女も出てくるし。

今回彼は脚本を担当しているが、できればそれも他のスタッフにまかせたらもっと良くなったのではないかと思う。米林宏昌監督は、なるほどジブリ一のアニメーターといわれるだけあり、ディテールは豊潤そのもの。きわめて映像的な見所の多い作品を作り上げた。たとえば文字通り水滴のようにぷるんとした小人たちの入れるお茶、氷砂糖ひとつ「借り」にいくだけの行程がまるで大アドベンチャーになったりなど、小人視点の奥行きある演出にはうっとりとさせられる。ティッシュペーパーや窓越しの会話シーンなど、とてもいい。

しかし先述したようなうっとうしいテーマ性が、そこから観客のフォーカスを微妙にずらして不協和音を発生させ、どちらも中途半端に終わらせてしまった。これはまずかった。いっそ少年とアリエッティのかなわぬ交流、恋のごとき感情の交感に焦点をあて、別れの切なさに見せ場を収束させる物語にしてほしかった。それでも十分に、作品の主題は伝わったはずだ。この作品のクライマックスは、王道に背を向ける近年の宮崎駿色が強すぎると私などは感じる。

もっとも、それがいいのか悪いのか。それは各自の好みの範疇であろう。



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