『クロッシング』80点(100点満点中)
CROSSING 2010年4月17日(土)より、渋谷・ユーロスペース、名古屋シネマスコーレにてロードショー 2008年韓国/107分/太秦
監督:キム・テギュン 脚本:イ・ユジン 撮影:チョン・ハンチョル 出演:チャ・インピョ シン・ミョンチョル チョン・インギ ソ・ヨンファ チュ・ダヨン

感情を揺さぶる力は『火垂るの墓』より上

『クロッシング』はあまりに危険な内容および主張を含むことから、南北融和のノ・ムヒョン政権時代の韓国ではおおっぴらに製作ができなかった。そこでやむなく、監督らは内容を絶対極秘にして各国ロケを行い、なんとか完成にこぎつけた。そして政権交代した今、ようやく日の目を見たという執念の一本である。

そして大事なことに、この映画には韓国人と同じかそれ以上に、日本人である私たちにとって重大な事実が含まれている。

かつて北朝鮮のサッカーナショナルチームの一員だったヨンス(チャ・インピョ)は、今はしがない炭鉱夫として、病弱の妻ヨンハ(ソ・ヨンファ)、11歳の息子ジュニ(シン・ミョンチョル)と3人で暮らしている。だが栄養不足など劣悪な環境下で妻の病状が悪化、特効薬を得るためには国境を越え、中国に行くしかない状況に追い込まれる。

まず最初にはっきりと申し上げておく。次のような方が、どうしてもこの映画を見たい場合は、感受性をぶち壊されるかもしれないので相当な覚悟を持って映画館にお出かけいただきたい。1.幼い息子がいる人、2.身近に拉致被害者・特定失踪者の家族などがいる方、3.怒ったら手がつけられない方、4.「拉致問題の前に国交正常化すべし」と考えている方。

『クロッシング』は、多数の脱北者に長年取材を行って、彼らの実体験をもとにディテールを構成したドラマである。モデルとなった家族も、脱北事件も実際に存在していることを、まず知っておいていただきたい。

この映画の北朝鮮に対する政治的立ち位置は、比較的はっきりとしている。というより、脱北者たちから話を聞いて映画を作るとしたら、どこかの靖国監督でもない限り、こういう作品になる事は必然である。言い方を変えればある種のプロパガンダといえなくもないが、その完成度は高い。

なにより、劇中に金正日を直接的に批判する言葉がない点がうまい。登場人物たちは、決して他者を責めないのである。中立的な人々の反感を買わぬための、これは演出の常道である。

それでも本作は、見終わったら誰もがピョンヤン上空にF-22の一機も飛ばしたくなるように作られている。つまり先ほど3番にあげたような方は、本気でコトを起こしてしまいかねないので、特に注意していただきたい。

映画は、北朝鮮のある善良な一家におきた悲劇を描いている。病気の妻のため、命がけで脱北を試みる父、その帰りをひたすら待ち、幼いながらも病気の母と家を守ろうとする息子。その大きな試練にとって、彼らはあまりにも無力すぎる。だがそれでも男たちは諦めず、自分ではなく家族のため、自らにできるすべての事をする。

それは私たちの予想をはるかに超える激烈な「行為」であり、「賭け」である。だが現実は過酷にすぎ、運命は一片の容赦もしない。福祉などゼロ、絶望まさにここにあり、だ。この国に神はいないのかと叫ぶ父親の姿をみて、涙を流さぬものはいまい。

小石でサッカーをする父子、子供からひったくる子供たち、破れた靴……。そうしたディテールを見ているだけで、泣きたくなってくる。韓国映画には南北問題を扱った映画が星の数ほどあるが、『クロッシング』の生々しさは別格である。感情に訴える力は最強クラスで、もしかすると日本のアニメ『火垂るの墓』をも超えている。感情を揺さぶるという点だけでいうならば、100点以外に与える点数はない。

役者たちも、韓国映画らしいオーバー気味の感情噴出がぴたりとはまっている。彼らの苦渋の表情をみると、こちらまで胃が痛くなる。

中でも最大の見所は、子供がある人物と電話で話す場面である。ここで観客たちは、この善き人々に感情移入してきてしまったことを心底後悔することになるだろう。そこまで必死に我慢してきたお客さんも、このシーンでは絶対に耐えられないと断言する。万が一ここを平然と見られる人がいたら、その人は心が故障しているので一刻も早く病院にいったほうが良い。

それにしても、恐ろしい国が近くにあったものだ。たとえこの映画が話半分だとしてもひどすぎる。私もこの問題に力を入れているCS局の仕事をしている関係もあって、実際にあの国を訪問した人や拉致被害・特定失踪者の家族の方と何度も話をしたことがある。まあ控えめに言って、この映画で描かれる北朝鮮の様子は当たらずとも遠からずといった所だろう。

こうした国に、拉致被害者というかけがえのない人質を取られた状態で「先に国交正常化交渉をすべし」という論がある事が信じられない。

およそ交渉ごとというものは、大切な家族を人質に取られている相手と行うものではない。まして戦後賠償問題などという、ただでさえキツい議題について、かわいい娘ののどもとにナイフを突きつけられた状態で、言いたい事がいえる人間などいるはずがない。

万が一そんな圧倒的不利な立場で話をすれば、相手の言い分を全部飲むほかないではないか。おまけにそこまで譲歩しても、人質が戻ってくる保証はない。

だから、まずは人質を全員返してもらうのが先。それ以外の話は、すべてその後の話だ。日本にとって、これ以外の順序はありえない。そんな事は、小学生でもわかるこの世の常識である。

一般人ならいざ知らず、学者や政治家センセイがそんな常識もわからないようでは話にならない。そういう人は、迷わず一度『クロッシング』を見て自らの誤りに気づくべきであろう。



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